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Cappuccino 日記(2009/2)

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2/1

なんだか、体調が少し不良。筋肉のけいれんと、舌の痛みが出ている。熱っぽい。だるい。
・・・寒さ厳しき折だけに、風邪かなぁ。とりあえずストレスのせいだということにしておこう。

適当な時間になんとか起床し、ひさびさに床屋に行く。寒い時期なれどこざっぱり刈ってもらってから
鏡を見せてもらうが、後頭部になにやら見慣れない肌色・・・ええっ!?後頭部がめっさ薄くなってる!?
おい、まだ髪が薄くなる年齢じゃあ・・・ない・・・これもまた、半年分のストレスのせいなのか!?
ちょっと困ったが、今更隠してもしょうがないので、このまま強く生きることにした。


帰宅後、ワイパーモーターの点検を開始。まずは、ワイパーモーターを外してみる。ボンネットを開けたのち、
モーターに繋がるハーネスのコネクターを外し、モーターがくっついているクロメート色の板を固定する
3つのボルトを外せば、モーターのくっついた板が丸ごと外れる。しかし、モーターはそのまま外れない。
ギアボックスの出力軸とワイパーリンクが結合しているので、これを外さないといけない。どういう構造か
まったく想像が付かなかったのだが、バラしてみればテーパーセレーション接合になっていた。うーん。
結合部を締め付けているボルトをラチェットメガネで外し、モーター Assy とリンクの板の間の隙間に
巨大マイナスドライバーを突っ込んでえいやっとコジり、結合を解く・・・あ、マーク忘れた!

余計な仕事が増えてしまった、と悔やみつつ、とりあえずモーターを分解。意外なぐらいに、内部はきれい。
累計走行距離 14万km の中で、ワイパーを動かす機会はそんなに多くなかったようだ。整流子の表面も荒れなし。
ただ、そのせいかブラシの当たりがまだしっかり付いてない(!)ようで、若干のカケがあったりもした。
特に弄るところはなかったので、#1500 のペーパーで、整流子の表面の黒い汚れを落としておく。あとは、
回転軸を清掃したのち、適当な MPグリースを軸受け部に塗りつけ、モーターを元通りに組み立てる。

なお、モーターを組み立てる際は、あらかじめ電機子を土台のほうに差し込んでからカバーを被せるのが
作業的にやりやすい(ブラシの処理が簡単なので)。その際、カバーに内蔵された磁石によって電機子が
軸方向に引っ張られてしまうことを避けるため、ギアボックスの出力軸にメガネレンチを掛け、
締め方向に少し強めのテンションをかけておくと良い。こうすることで、綺麗に組みあがる。

モーターのほうは無問題だったので、一応、ギヤボックス側も分解する。こちらのほうも、全く痛んでいなかった。
グリースの変色ぐらいはあるかと思ったが、まるで昨日充填したばかりのような、鮮やかな黄色を保ったグリースが
出てきただけだった。内部構造を観察。基本的には、ウォーム&ウォームホイールによる1段の減速機構のみ。
予想外だったのは、モーターの軸をそのまま削って作られたウォームは当然ながら金属製なのだが、ウォーム
ホイールはプラスチック製だったことだ。過度な負荷がかかったら簡単に割れそうだけど、大丈夫なのか?

モーター Assy を組み立てたのち、ワイパーリンクを点検。手で動かしてみるが、特に問題はなさそう・・・
新品と比較すれば結構な差はあるかもしれないが、モーターの動きが阻害されるほどの状態ではないようだ。


結局、ワイパーの動きが悪くなったのは気のせいレベルである、という以上の結論を得ることができないまま
再度組み立て。うっかり、セレーション結合を外すときにマーキングを忘れていたので、0位置調整に手間取る。
何度か組み立て ←→ 分解を繰り返すが、どうもしっくりいかない。普通にワイパーを OFF したときは丁度いい位置に
止まるが、間欠だと 1cm 少々行き過ぎる、みたいな感じ。モーター内のポジションセンサー接点は正常だったので
故障ではない。微妙な調整が必要なようだ。とりあえず、適当な位置で妥協し、いったん組み立てを完了する。

組み立て後、整流子を磨いたこともあり、当たりを付け直すためにしばらくカラ回し。ワイパーアームをガラスから
浮かせた状態でしばらく置いておく。最初は Hi も Lo も同じような速度だったが、だんだんと Hi の速度が上がって
差がついてきた。うん、短時間ではあるが、慣らしの効果は十分にありそうだ。Lo 側も改善するといいのだけど。

慣らし完了後、やっぱりリターン位置がすごく気になったので、セレーションの噛み合わせを何度か変更しなおし、
ベストな位置へと変更する。最低位置を跨いで、僅かに行き過ぎたところを間欠での停止位置、僅かに届く前のところを
OFF での停止位置に設定する。これなら、どう止めてもほぼ同じ位置になる。最後に、ワイパーの最低位の調整。
調整するためのネジが明確にあるわけじゃないのだが、実はこれ、モーター自体の固定位置によって決まる。
車体との固定穴にはノックピンとかガイトとかが無いのだが、それがゆえに固定位置は微調整ができるし、
取り付け部の微調整はワイパーリンクを通じて増幅され、停止位置の大きな変化を生むのだ。

調整を終え、作業終了。結局、ワイパーをガラス面に降ろしているときの動きには、大きな変化を感じなかった。
所詮、こんなもんか・・・まぁ、いいか。これで、モーターを某流用品に交換する覚悟(?)ができたから。

作業中、姿勢によっては少し腰に違和感を覚えるが、特にヤバい感じはナシ。かなりマシになったな。
ああ、あれ(ギックリ腰)から3ヶ月だもんな・・・さすがに、そろそろ完治してもいい頃だと思うなぁ。


部屋に戻って、道具のチェック。ずっと使ってきたサーキットテスターが、ついに電池切れになった。
もう、使い始めてから10年ぐらいは経ってるだろうか。さすがに寿命が来てもおかしくない。というわけで
電源となる 006P を買いにいくが、意外なことに、マンガンの 006P がなかなか見つからない。そうか、最近は
こんな電圧を必要とする機材も減ってきてるんだな。昔は、ラジコンのプロポとかでよく使ったんだけど。
いくつかの店を回ってようやくマンガンの 006P を見つけたので、早速交換し、寿命がきた電池の電圧を測る。
・・・無負荷(たぶん実働時とほぼ同じ)で 8.5V。意外とはやいうちに音をあげるものだなぁ。


夜。さっそくネットをあれこれ調べ、交換用の中古ワイパーモーターを手配。もちろん、カプチーノ用ではなく
HT51S(スイフト)用(38101-80G11)。パーツリストの形状も確認するが、おそらくコレが、カプチーノでも
そのまま使える最新型のモーターになる。他にも流用できるタイプはありそうだが、確実なコレを注文。

・・・ネット作業を終了。先週中ごろからだけど、机に向かって作業していると、右手薬指付近に
かすかにしびれる感触がある。右手指の違和感も、肘の痛みも、ようやくほぼ無くなったので
あとはこれだけなのかなぁ・・・と。まぁ、これぐらいだったら、さしたる問題もないし・・・


2/3

このところ、日々仕事がますます忙しい。例年のように、納期キツキツになってきたデスマーチに加え
利益を少しでも積み上げるための追加の駆け込み仕事と、さらに来年に向けての仕込みを平行して走らせて
いるため、もう何がなんだかわからんという状況。ストレスは溜まり放題で、全身の調子はあまりよろしくない。
特に気になるのが、数日前から始まった、右手小指の痺れ。デスクワークを続けていると、すぐ発症する。
また、肘が痛んでいるのだろう。だが、それほどひどい状態でもないので、ビタミン剤でも飲みつつ
あとは放置して回復を待つほか無い。ああ、まったく、これもまたストレスの源泉なんだぜ・・・

とか言ってるうちに、いつものRECOJAPANに発注していたモーターが到着。ヤフオクなどで調達するよりも
品質が高いので、変なモノだったりとか、特に安値調達を狙う場合でないときは、ここをよく利用させてもらっている。
というわけで、箱を開けて軽く検品。まだ年式の新しいクルマの中古品ということもあり、外見は美しい。Web で調べた
情報と照合するが、確かに、カプチーノ用と比べると、水抜き穴の位置が 180度逆になっている。・・・うーん、そもそも、
簡易ながらも防水区画に格納されているモーターだし、水が浸入することがありうるのかどうかが不思議なんだけど
まぁ、メーカーがそう設計してるんだから、ありうるんだろう。細かいことは気にしない。つまり、加工が必須だな。

というわけで早速、モーターを分解。内部の錆はほとんどないが、ケース内側に水が流れた跡があった。
・・・やっぱ、加工は必須か。そう思いながら整流子表面を磨き、水抜き穴をカプチーノ用と同じ場所に
開けなおし、ケースに空いていた穴を塞ぐ。穴塞ぎには、シーラーを塗ったブラインドリベットを使う。

内部構造はカプチーノ用とほぼ同じだが、違う点は2つ。1つは、ブラシのマイナス側とボディーアースの間に
なにやら良くわからない部品(画面中央下の、横に長い銀色の部品)がついてること。温度ヒューズ、かな?



もう1つは(おそらくこちらが重要だと思うが)電機子のコアの長さ。スイフト(HT51S)用のコアの長さは 34mm だが
カプチーノ純正は 31mm。実に 3mm(10%)の差がある。巻線数が同じであれば磁束は同じになると思うが、さすがに
同じってことはないだろうから、発生する磁束は違うはず。トルクに差が出る可能性は高い。この差に対応して
ケース内側についてる磁石も長さが違う可能性があるので、リベットで塞いで利用するのが正解。


2/4

起床。右手が冷たい。布団の外に出していたのか・・・2月に入ってからずっと、右手小指の軽度な痺れがある。といっても
普段からずっとあるのではなく、キーボードを打つために、机に向かって肘を曲げた姿勢をとっていると痺れる。つまり、
絵をかいていても同じこと。一番やりたいことと、やらないといけないことが封印されてしまっている状態だ。つらいね。

昨日の昼、ちょっと歩き方を変え、歩き方で変な方法を採用したためか、今日は向こう脛が筋肉痛。それでも歩くべきか
歩かないべきか。だが、無理をしてもいいことはないし、昼に歩かねばならないことはない。安静日にする。
・・・つもりだったが、とりあえず会社の階段昇降を実施。12階まで昇るが、こっちのほうがずっときつい(汗)


1月末に再度発生した MTron の SSD の故障について、サポートにいろいろとメールを送っていたのだが、先方から
この状況を詫びるとともに、現状取れる対策を記したメールの返事が届いた。なんだかんだで、彼らは、個人相手であっても
真剣に仕事をしている。以前、業務で取引した異なる某韓国企業は酷いものだったが、MTron はしっかりしている。安心した。

Web を見ても初期不良や中途故障報告が多いので、製品はまだまだ熟しきっていないところが多いようだが、心情的には
応援したくなる。今後、SSD の値段がもう少し下がってくれば、デスクトップのほうも SSD 化してもいいかな、と思う。
なにしろ、一度 SSD のある環境に慣れてしまうと、ミッドレンジの SATA の HDD では全然遅く感じてしまうためだ。
(特に、アクセスが集中したときの引っかかりが SSD では無いに等しいため、HDD が驚くほど遅く感じてしまう)。


2/5

というわけで、MTron からの連絡事項は2つ。1つは、ユーザ側で SSD を完全初期化することはできないし、
原因を切り分けることもできない(テストチームに確認を取ってくれたそうだ。製品の機密に関わる事項だろうから、
ユーザ側で出来なくても当然とは思っていた)。もう1つは、問題の再発について責任を感じているためか、RMA を再度
発行するので、着払いの UPS で製品を送ってくれ、とのこと。ほー。後者はちょっと、予想外だった。サービスいいね。

というわけで早速、UPS の着払いによる送荷ってのに挑戦してみる。これまで、EMS で荷物を海外発送したことはあっても
さすがに UPS は使ったことがない(猛烈に高いから)。というか、UPS ってどこで荷受してるんだ?クロネコとか佐川
とかは普通に事務所を見かけるけど、UPS なんて見たことない。というわけで、少し調べてみる。その結果、UPS は
MBE という会社の事務所が集荷代行をしているらしい。一応、京都にも事務所がある・・・かなり遠いけど(汗)
その他にも、頼んでおけば、集荷に来てくれるようだ。さすが!輸送料が高いだけのことはあるね〜。

とりあえず、家まで集荷に来てもらうべ・・・と考え、集荷依頼。Web のほうから申し込みができるようだったので
試してみる。だが、とてもわかりづらい Web の申し込みフォームに苦闘しながら処理を進めるものの、着払いを指定すると
どうしても申し込み処理完了までたどり着くことができない。どうやら、荷受側だけでなく、荷送側も UPS アカウントを
持っていないといけないようだ。じゃ、じゃあ、UPS アカウントを取得すればいいのか・・・?もう一枚ブラウザを開き
UPS アカウントの申請を進める。だが、荷物を送る量が少なすぎるせいか、どうやっても「アカウントを取らずに送れ」
という画面になる。・・・って、おい。UPS アカウントを取らないと着払いで送れないのに、UPS アカウントが取れない?
さらに調べてみると、UPS アカウントってのは基本的に、個人相手には発行していないようだ。えー?ってことは、
せっかく MTron が着払いを指定してくれているのに、使えないってことなのか?!わけがわかんねぇ。

すごくスタイリッシュではあるものの、ものすごく意味がわかりにくくて不親切極まりない UPS の Web サイトを
見切り、UPS のカスタマーサービスにメールを送ってみる。えーと、着払いはできまへんのでっしゃろか・・・と。
少し時間がかかりそうだったので、MTron には、発送が少し遅れる旨のメールを送っておく。


てな感じでずっと事務処理ばかりやっていると、指の痺れは極大に達したあと、少しずつ収まってきた。
・・・ああ、いつものパターンだな。おそらく、明確な器質的病変というわけじゃない。くっそ、腹が立つぜ。


2/6

昨日はまだ少し残っていた足の筋肉痛も、今日はほぼおさまった(ちょっと眠いけど)。腕と指の問題も収束中。
いくらか、普通の生活が戻ってきた。ああ・・・普通に暮らせる有難さを噛み締める・・・・なんてことを思ったら
また、仕事のほうで面倒なことが積み上げられた。おい、人間、限界ってものが・・・また、ストレス。舌の変調を覚える。


そんなこんなでヘナヘナになっていると、UPS から電話があった。色々送った質問メールへの回答を頂いた。結果としては、
着払いは問題ないらしい。また、集荷にも来てくれるそうだ。ただ、平日にしか来れないそうなので、発送に必要な荷札を
事前に書いておくため、先に荷札だけ持ってきてもらうことにした。自宅にいる両親に「書いてね」とは頼めない(汗)

帰宅。とりあえず話はついたので、invoice の準備やら、事務処理を延々。ああ、面倒くさい。
なんで、SSD のためにこんなに時間使ってんだ・・・なんとなく苛立ちを覚える。しょうがないけどさ・・・


2/7

さて・・・ワイパーモーターが届いたということで、早速交換。一度交換しているので、手順は問題なし。コネクターの
生えている方向が 90度違うのが心配だったが、幸いにも、バルクヘッドとの干渉は無い。停止位置の調整が難しいだけで、
あとはなんに問題もない。あっさりと処理完了。だが、作業が終わったころには、ちょっと腰が痛い。なんとなくだるいし
舌も痛いし、微妙に風邪気味。・・・ううむ、花粉?試しに、鴨居に掴まって反動なし懸垂・・・可能。筋力は落ちてない・・・。

ま、いいか。腰を痛めすぎないうちに、さっさと作業を終えてしまおう。とりあえず、慣らしのためにワイパーを動かす。
ブラシの当たりが付くまでの間は、Hi と Lo の違いがあまりわからない。だが、それでも、多少の差はわかる。また、
トルクは確かに上がったようだ。動作中のワイパーを手で押さえたときの抵抗感が、以前とは違うように思う。


ワイパーの作業が終わったので、ヘッドライトのメンテナンス。いつものようにコンパウンドで表面をシコシコと磨くが、
内部の細かいひび割れが多いことが気になった。ひょっとしたら、加熱すれば軽く熔けてひび割れが減るかも・・・なんて考え
ヒートガンでしばらく炙ってみる。だが、そう上手くいくはずも無い。加熱されたポリカーボネートは、むしろ透明度を失い
白く曇り始める。う、うわ!えらいこっちゃ!幸いにも曇りは、光学的に影響のない、角のほうだけで発生していた。
削るための道具を色々引っ張り出し、ゴリゴリと削ってなんとか気にならない程度にまで修復。危ない危ない(汗)


ちょっと気分が滅入ったので、 Vベルトの張り調整。最近、キュルキュルとうるさかったんだよなぁ・・・たぶん、緩みだろう。
痛むのは、長さが短くて、かつ曲げ半径も小さいオルタ側が圧倒的なはず。というわけで、調整のしやすいオルタ側だけ、
とりあえず張りなおす。・・・だが、キュルキュルはあまり直らない。エアコン側かぁ。あっち側は面倒くさいなぁ・・・


2/8

久々に、洗車&ワックス掛け。車体をくまなくチェックするが、いつの間にか、センタールーフ後端のモールが
飛んで無くなっていることに気づく・・・って、まっ、またか・・・!そんなに安いもんじゃないのに!慌てて、車内を
くまなく探すが、どこにも見つからない。また、走行中か、屋根のつけはずしのときに取れたのか・・・ありえるのか!?
俺は確かに、モールをゴムハンマーで叩き込んだはず・・・そんなものが、いつの間にか、勝手に取れるのか!?
・・・ああ、また無駄な出費が嵩む、か・・・。無念。次は、接着剤かなにかでしっかり固定し、取れないようにせねば。

ワイパーモーターを強化したので、ワイパーをエアロツインマルチに戻してみる。ブレードの曲がりも再調整。
その作業の際、ワイパーアームの塗装が荒れていることが気になったので、脱脂して上塗り塗装。厚めにしっかり塗る。

スローパンクしていたホイールの空気圧をチェック。あっけなく、120kPa まで低下していた。漏れが早すぎる。
早い。さすがにもうダメかな。今期の終わりごろまでに、交換用のホイールを調達せねばならない・・・

洗車の仕上げ(?)に、エアクリーナーを洗浄。前回の洗浄は、たぶん2年前か3年前、かな?フィルターの汚れは
想定内だったが、専用洗剤のノズルが詰まっていたのは想定外だった(汗)ノズルを外して水の中に漬け、詰まりを解消。
なんとか洗剤が使えるようになったら、4回ぐらい繰り返してフィルターを洗浄し、繊維に染んだ黒ずみを取り去る。
あとは、しっかり乾かして、もう一度油を染ませて、また再利用・・・まだ何回かは再利用、できそうかな?


作業を終えるころ、UPS が荷札(伝票)を持ってきてくれた。2、3枚もあれば十分だったのだが、面倒だったのか
厚さ 5mm ぐらいの束で持ってきてくれた。そっ、そんなにイラネーヨ!(汗)だが、これで失敗し放題。気は楽になる。
結局、2、3回ほど書き損じがあったので、数枚を無駄にした。束で持ってきてくれたのは正解だったか(笑)なお、
UPS の荷札の記述内容は EMS の荷札とよく似ているので、書くのに悩むようなところはない。ただ、着払いなので
荷受人の欄に UPS アカウント番号を書くことと、料金の支払い者の欄を間違えずチェックすることだけは気をつけたい。

作業を終えて、家に戻る。昨日に続いて、ちょっと腰が痛い気味。以前のギックリ腰のときほど酷くはないが、
いやな感じがしなくもない。どっちかといえば、風邪が腰に回ってる感じ(?)軽く咳も出始める。そうなったら
転がり落ちる(?)のは早い。夜になり、咳がひどくなってきた。痰も絡んできたかんじ。熱を測ると 37.0℃で
ちょうど、微熱。うーん、しかし明日の仕事はお客さんとの打ち合わせだから、休めない。市販の風邪薬を飲んで寝る。


2/9

・・・起床。鼻や喉の粘膜の渇きは感じるものの、咳はすっきりと止まって。おどろいた。市販の風邪薬が・・・効いた?

出社前、早めの時間に UPS に電話。集荷の依頼をするが、何故か、伝えた UPS アカウントに登録されている先方の会社が
送り先のものと違っている、と言われる。ちょ・・・それはあり得ない。だって、MTron からこちらに送ってきた UPS の伝票に
その番号がしっかりと書いてあるし(笑)。だが、なんど言い直しても、断固として「違う」と言われる。あり得ない・・・
念のため、MTron に「UPS アカウント番号が違うことはないか?」とメールしてみる。数時間後には「合っている」と
返信。そりゃ、そーだろーな。ただ、ひょっとしたら会社名が違うかも・・・ということで、追加の suffix を教えてもらう。

suffix のあるなしなんて、あんまり関係ないだろうな・・・と思いつつ、昼過ぎにもう一度 UPS へ電話。別のオペレーターが
出てきたので、同じように集荷依頼。念のため、suffix も含めた会社名を伝えると、今度は一発 OK だった。suffix が効いた?
でもなぁ・・・さっきは、送り先の住所も全然違う、って言われたしなぁ・・・よくわからん。まぁ、結果オーライだけどさ。


咳は収まったが、体力が落ちているということで、歩行は取りやめて帰宅。なんだかんだで、かなり良好にはなってきた。
それにしても、こんだけ市販の風邪薬が効いたのは初めてだ・・・感動。そういうこともあるんだなぁ。たまたま、かな?

帰宅後、なんとなく DD-WRT のサイトを眺めると、WLA-G54 の supported firmware list の中に V24sp1 が入っていた。
あれ?使えるようになったの?早速 update してみるが、ほとんどの昨日は確かに正常動作しているものの、なぜか
無線だけが全くつながらない。電波が出ているのは確実なんだけど・・・ああ、やっぱダメか。V23sp2 に戻す。


2/10

起床。今日もまた、鼻や喉の粘膜の渇きを感じる。・・・だが、咳は止まっている。調子はけっこう良好。
だが、出勤して業務に励んでいると、また更に、緊急の仕事が入ってきた。も、もう、いい加減にしてくれ・・・
あまりにもやることが増えすぎて、なんかもう、意識がクラクラしてきた。眠い・・・。ああ、もうダメぽ。


それでもなんとか仕事を適当なところまで片付け、帰宅。出荷準備をしておいた SSD は、ようやく旅立っていった。
MTron のサポート担当者に、UPS の番号とともに、出荷完了連絡を送っておく。さて、どうなるか、だな・・・。

数日前にヤフオクで落札していた、LaserJet6L の重送対策用分離パッドが届いていた。LaserJet6L のエンジンは
LBP-220 あたりと共通なのだが、どうやら設計がよろしくないようで、少し古くなるとすぐに激しく重送するという
悪い癖を持っている。これはかなり有名な話なので、対策方法はネット上でいろいろと出回っているわけなのだが
修理の要となる、長期使用に耐える、対策品の分離パッドの入手性が悪いため、長いこと放置していたものだった。

ヤフオクで落としたパッドには、親切なことに、交換方法を記した CD-R が付いてきたので、内容をよく読みながら
作業を進める。基本的には、書かれているとおりに作業を進めればいいので、難しいところはあまりない。ただ、
添付資料の画像では構造がよくわからないところがいくつかあったので、想像力を逞しくしないといけない所はあり。


それでもだいたい小一時間で交換を完了したので、早速、試運転を開始する・・・だが、何故か、紙を吸いこまない。
あ、あれ?いろいろチェックしてみるが、どうも、スタッカから給紙ローラーに紙が落ちるところがうまく動作していない
ように見える。どうして?給紙ローラーをよく点検するが、とくにおかしな点はない。一応、給紙ローラーにも軽い磨耗が
見られたので、添付資料にしたがって対策は行っている。それでも、給紙が正しく行われない。な、なぜだ・・・

さらに色々と動作させてみると、そのうち、おかしな点に気づく。スタッカから紙を吸い込まないのも変な点だが、
たまたま吸い込んだときでも、紙が転写ドラムから出るよりも先に次の紙を吸い込んでしまい、ジャム判定される
という変な挙動をしていることがわかった。給紙機構のシーケンスそのものが、なにやらおかしなことになっている。

組み立てるとき、なにかミスをしたのだろうか?プリンターを途中まで分解し、各部を点検。そのうち、気づいた。
プリンターの機構全体を動かすモーターは、1つしかない。だが、給紙ローラーは間欠的に動作する。つまり、転写部や
定着部のローラーを動かしている間に、給紙部のローラーを止めるための機構が存在している。どうやらそれは、
給紙ローラーのギアについているクラッチとソレノイドらしい。給紙ローラーの軸に固定されている部品には
切り欠きがつけられており、ソレノイドから伸びている鉄片は、その切り欠きに引っかかるようになっている。
さらに、給紙ローラーは、クラッチを介したギアにより、機構全体を動かすモーターによって駆動されている。

言葉だと説明しづらいが、つまるところ、ソレノイドから伸びている鉄片が適切に動かないかぎり、正確な
タイミングでの給紙が行われない、ということだ。実際のところ、給紙が正確に動かないこのプリンターでは、
鉄片が引かれたときに当たる部分に貼り付けてあるスポンジが、経年劣化で溶け、粘着質の物質になっていた。

鉄片を引く力はソレノイドの電磁力によって発生するが、鉄片を戻す力は、ソレノイドの上についている、ごく小さなバネ
1つだけしかない。経年劣化によってスポンジが粘着質の物質に変化すると、ソレノイドは常に引いた状態で固定される。
そうなると、給紙ローラーを止める機構が働かなくなり、常に給紙ローラーが回りっぱなしになってしまう。ゆえに、
紙をうまく吸い込めたときでも、今までとは違うパターンの重送が発生してしまう現象が発生していたのだった。


このスポンジの存在目的は、ソレノイドが動作したときの金属音を緩和するためだ。というわけで、容赦なく取り去り、
代わりに(気休め程度ではあるが)アセテートテープを貼り付け、もう一度組み立てて試運転。この読みは大正解。
吸い込みの悪さはさておき、吸い込まれたあとの重送は全く発生しなくなった。もちろん、以前から起きていた
まとめて何枚でも吸い込んでしまうタイプの重送も発生しなくなった。よし!このプリンターは、まだ使える・・・

なお、吸い込みの悪さだが、色々試した結果として「紙の方向が悪い」という結論になった。ホームセンターで
安く買った中国製の PPC 用紙だが、紙の裏表の質がかなり異なっていたようで、逆向きに入れるとちゃんと吸い込む
ようになった。国産の PPC 用紙でここまで極端に裏表の差が出ることは無かったが、まぁそういうこともあるのか、と。


2/11

先週感じていた右手小指/薬指の痺れは、収まったように感じる。その代わり、腰が痛い・・・
ここからぎっくり腰に発展する、とは思わないが、姿勢を変えたときの軽い鈍痛とかは、まだ続きそうな悪寒。


2/8 に行ったエアクリーナー(K&N)の乾燥とオイル塗布が終わったので、装着。オイルは少なめにしておいたが、
長い時間放置しておくことで、十分に拡散してくれた。多すぎるといろいろ弊害がある。いい感じになった。

ボディの錆を軽く取ったのち、センタールーフモールや Vベルトなどの部品を注文しようスズキに向かうが、
珍しく「休み」だった。ショボンヌ・・・帰路、ホームセンターに立ち寄って、棚を作るための資材を買い込む。
買い物の途中、体が熱っぽい感じだなぁと感じる。うーん、やっぱ風邪のようだけど・・・長いなぁ、この風邪。


帰宅後、購入した資材を使って、インターネットに接続するための設備(ONU+光電話アダプタ+ルーター+無線AP)を
あまり目立たない(&埃汚れが付きにくい)階段の壁面へと移動。さして難しい作業でもない・・・と思ったが
配線が多いので、綺麗にまとめるために結構な手間を取られた。ルーターと無線 AP を一体化したい;

しかし、設備の移動に伴って増設した無線AP の外部アンテナの威力は、かなり絶大だった。秋月の通販で買った
無指向性の安いタイプだが、設置位置が高くなったことも相まってか、家の中全域から 54Mbps で接続できるように
なった。電波が強くなったこともあって、接続の安定度も非常に高い。ああ、手間はかかったが、意味はあった・・・


ところで SSD だが、関空 → 仁川へとまっすぐ海を渡り、手早く MTron に届いたようだ。返送はいつかな。


2/12

何故か、あまり眠れない。寝不足状態のまま、起床。手のひらが少し浮腫んでいるし、なんとなく全身がだるいし
熱っぽいけど、致命的では・・・ない・・・期末が近くて、仕事はたんまりたまっている。休めない。出勤。

ところで最近、1.8" の日立IDE/東芝IDE タイプがリリースされた PhotoFast の G-monster SSD だが、ようやく
ThinkPad X40 などでのベンチマークの結果がぽつぽつと出てきた。ベンチーマークを見る限り、結構いい性能。
というか、SLC な MTron の優位性がまるで出てこない結果になっている。もちろん、ベンチマークだけでは
性能の全てを測れないのが SSD(ex. プチフリ)だが・・・大丈夫かねぇ、MTron。いまだに MLC タイプを
リリースしていないので、MLC の性能が上がってきたら、コスパで負けてしまうんではなかろうか?


2/13

腰が少し痛い・・・手の痺れはほぼ引いてきたが、腰の痛みはまるで治まらない。たのむぜ、俺の腰!

仕事。忙しい。眠い。腹の調子もよろしくない。ああ、また全身弱ってるze... と思ってたら、夕方から
いきなり、左の股関節付近が痛くなってきた。クソ!今度は何なんだよ!幸いにも、椅子から立ち上がって
1分ぐらいで、痛いのは収まる。また、筋が縮まってきたのか?ゆっくりストレッチして、対策しておく。


その後、22時ぐらいまで仕事をやってから、ようやく帰宅。幸いにも、股関節の痛みは治まってくれた。
帰宅後、ラフな服に着替えてメールをチェック。MTron からは、まだ代替品の発送完了通知が来ない。
うーん、なんか時間かかってるねぇ・・・と思いつつ MTron の Web サイトを見ると、驚いたことに
ファームウェアがアップデートされていた!お、なんだこれ、なんだこれ!?ワクワクしながら
内容を読んでみると「Fixed several drive rejection issues that are caused by ECC error when
write operation.」
なんて項目がある・・・ひょっとして、私が遭遇した問題にも関係してたりする?
この改良によって問題が直ったなら、ラッキーだ。他にもいくつかの改良が含まれていたので、読むと
ATA の security 関係のサポートもようやく完成したようだ。つまり、HDD パスワードが使えるってこと。
ファームのバージョンがまだ 1.x に達してない(今現在ようやく 0.20)ってのは心配の種ではあるのだが、
それでも、着実に改善されてね?ああ、頑張れ MTron、負けるな MTron。Intel や Sandisk に負けるな!


まぁ、ファームが上がったってことは、送ってくるのもちょっと遅れるだろうな・・・と納得。
少し余裕があったので、おとつい整理したインターネット接続設備で使っていた LAN ケーブルの整理。
そこらに転がっていた 1m〜2m ぐらいの LAN ケーブルをそのまま使っていたので、汎用の CAT6 ケーブルを
使って、最適な長さのケーブルを作成(いや、性能的には CAT5e で全然足りたのだが、在庫の関係で已む無く)。
RJ45 コネクターが CAT6 を考慮したタイプじゃなかったので、圧着までの準備でちょっと手間取ったのは予定外。
だが、作業そのものは完璧に終了。だらだら這い回っていたケーブルは、必要最小限のスッキリした状態に変化。


整理終了後、ふと、カプチーノのウォッシャノズルを拡散式に変更しようと思い立つ。正確には、何年前か忘れたが
一度買ってしばらく使って、そして外して放置していたものがどこかにあったはず・・・そう考えて部品箱を漁ると
すぐに見つかった。ああ、あったあった。それにしても、これをいつ買ったのか、そして、なぜ外してしまったのか、
その理由が思い出せない(不幸にも、日記にも記録していなかった)。それを再確認することも目的の1つ。


2/14

休日。相変わらずキュルキュル音の収まらない、エアコン側Vベルトの張り調整。ジャッキアップして潜りこんだり
エアクリーナーのホースを外したりしなくてはならず、とても面倒くさい。とりあえず、少し強めに張っておく。
だが、張り調整によって鳴きは一時的には収まったものの、数時間ほども置いておくと、またすぐに復活。
あ・・・もう、完全にダメになったか・・・とりあえず、鳴き止めスプレーだけ吹き付けておくが
本格的に直すためには、Vベルトを交換せねばならない。ちょっと、寿命短すぎないかな?

つづいて、件の拡散式ウォッシャーノズルを付けてみるが、なんでダメだったか即座に理解した。私が買ったものは
ボンネットに2個装着するタイプのものだったようで、左右の拡散範囲が狭すぎた。カプチーノはボンネットの中央に
1個だけ装着するタイプなので、ほとんどガラスの中央付近にしか水が掛からない。その結果、ブレードの下半分が
ほとんど濡れないので、面積の半分ぐらいは空拭き状態となってしまう。これでは、ウォッシャの意味が全然ない・・・
一方、上下の拡散範囲は広すぎるため、屋根の手前のほうが無意味に濡れる。いかん、これは全然無意味だ。
結局、拡散式ウォッシャーノズルを取り外し、純正のノズルの穴をきっちり清掃したものを再装着する。
最近の他車種純正品の流用を検討してみるほうが、まだ有意義かもしれない。調べておこう。

最後に、エンジンルームをざっと点検。全体的に軽く塩を吹いているように見えるのだが、不思議なことに、それは
燃圧レギュレータのケースにまで及んでいた。お、おいおい、いったいどこまで塩カルが入り込んでいるんだ(汗)


点検と清掃を終えたら、外での作業は終了。今日はちょっと、膝とかが痛い。腰からまた足に回ってきてるんかなぁ。

自宅内での作業。LaserJet6L の重送問題は解決したものの、こないだの年末から、LP-8400 も重送問題が発生していた。
ふと、こないだ LaserJet6L の修理中に発生していた重送の症状(ソレノイド固着による重送症状)とすごく似ていることを
思い出したので、ひょっとして・・・と考え、確かめてみることにした。とりあえず、分解を開始。LP-8400 の分解方法は
どこにも書いていないが、こないだ LaserJet6L を分解したときの経験が役に立つ。筐体左側から分解を開始していき、
制御基板 Assy をひっ剥がしたところで、機構の中に組み込まれていた給紙ローラ制御ソレノイドの1つとご対面。



構造的に、こいつがカセットからの給紙を行うローラーの回転を制御している。実際、発生していた重送問題は、カセット
からの給紙時のみに起こっていた。非常に疑わしい・・・と考え、コレを外してチェックしてみると案の定、可動鉄片が
当たる部分に貼り付けてあるスポンジが経年劣化で溶け、粘着質の物質になっていた。
同じことか・・・
ソレノイドを分解し、粘着質の物質を綺麗に取り去ったのち、アセテートテープを貼り付けて組み立てなおす。

確かめるまでもなかったのだが、試運転。やっぱり、重送問題は完全に解消していた。200枚ぐらい試運転してみるが
なんらの問題も起きない。ああ、この問題ってひょっとして、この頃のプリンターに共通して発生しうる問題かな。

他にも1つ、奥のほうにソレノイドが見えていることは気になったが、たぶんトレイ側の制御ソレノイドだろうと判断。
トレイのほうの給紙制御はトレイ全体が上に動くことによって行われるから、たぶんスポンジが多少劣化したところで
動作には影響を与えないだろう、と判断。とりあえず、今回の修理はここまで。たぶん、これであと 5年ぐらいは戦える。


2/15

天気は良いらしい。昨晩は咳も出てきたし、なんか風邪っぽかったが、あるいは花粉症だったのか。

適当な時間に起床し、買い物。スズキに行って部品を注文したのち、適当なホームセンターで黒スプレーを購入して
帰宅。なお、エンジン始動直後はキュルキュルいってた Vベルトだが、帰宅するころには無音になっていた。


帰宅後、少し前から気になっていた、運転席側三角窓サッシの錆落としと再塗装。ちょっとした面積の部品ではあるが
マスキングに結構な手間がかかり、面倒くさいことこの上ない。だが、錆が進行すると、もっと面倒くさいことになる。
あまり綺麗な仕上がりでなくてもいいが、錆の進行は止めておきたいので、その辺に留意してサクサクッと作業。

塗装が乾くまでの間に、他の作業を実施。まずは、ラジエータのフタを、SPAC の 1.1kg → SPAC の 0.9kg に変更。
といっても新品ではなく、かなり昔に購入してちょっとだけ使ったけど、すぐに外してお蔵入りさせていた品物。
1.1kg のに劣化があったわけではないが、なんとなくリザーバタンクとの LLC の往来が悪かったように見えたので
予防整備的に交換。それにしても、まだ使える部品がいっぱい眠っているなぁ。いちど、整理せんといかんな。

続いて、ハイビームを IPF Super Low Bulb X1(XENON BLUE)に変更。55W → 65W なので、同じ青系のバルブでも
明るさ的にはぐっと向上。たぶんこれで、車検で引っかかり気味になることもなかろう。バルブ自体は、ネット上での
売価も確認した上で、十分安く入手できそうだった近所の自動車屋で購入。明るさ的には確実に向上したようだったが、
白さ(青さ)的には、以前に装着していた 800円の安物バルブと、ほとんど何も変わらない(汗)単体で見れば十分に
白いのだけど、HID の白い光と同時に点灯して比べれば、赤いこと赤いこと・・・根本的に、ハロゲンで白さを求める
ってのは無理だということがわかる。HID 化した4灯式ヘッドライドの宿命だ・・・メーカー純正は、どうやって
この色の違いに対処しているのだろうか?(法律的には、Lo 同士/Hi 同士がそれぞれ同色であれば、Lo と Hi で
多少色が違っても大丈夫らしいが、色の違いがあると、同時点灯したときの目の疲労が結構強くなる・・・)


てな感じで、作業を終える。作業中、上唇の中央がピクピクすることが気になった。ほとんど出なくなった
筋肉のぴくつきだが、まだわずかに、こういったところに残る。症状的にはやはり、器質的疾患を想起させない。
実際、こんなことよりも腰痛のほうがずっと深刻なので、あまり気にしてはいないものの、症状があると気は取られる。
まぁ、つまるところ「自律神経失調、まだ完治せず」てところか。一生モノのお付き合いになりそう。諦めにも似た感あり。
・・・とはいいつつも、こうやって週末に体を動かしている限りは、腰痛もひどくない。ずっと座っているほうがずっとキツい。


2/16

・・・ああ、ついに来ましたよ。昨日の作業でかなりの量のアレルゲンを吸い込んでしまったのだろうか。
今日は朝からずっと、すさまじい鼻水とくしゃみに苛まれる。・・・ああ、ついに来たよ、花粉症の季節が・・・!
だが、職場の中で、花粉症っぽい症状でずっとゲヒゲヒ言ってるのは、俺ぐらいようだ。ふふり。時代を先取りだぜ(涙)

とてつもなく苦しい中、なんとか 22時まで仕事して、帰宅。帰路、会社を出たところで突然、空から雪が降ってきた・・・
いや、それどころか、猛烈に吹雪いてきた。当然ながら、冷たい風もビュウビュウと体に吹き付ける。吹き曝しにも等しい
駅前のバス停で、遅れ気味のバスを待つ行列。誰もが寒さに震えている。なかなか訪れなかった冬だが、まもなく冬が
終わろうとしているこの時期になって、ようやく思い出したように追いかけてきた。自然もまた、調子が狂っているのか。


2/19

・・・先日の寒さのお陰で(?)花粉症が一休みして、少し楽にはなったものの、なんとなく体調は優れない。
靴を変えたら、少し違和感を感じたりとか。体全体のバランスが、やっぱり取れてない。また、舌の横が痛くなったり
とか、指が微妙にへんな感じだったりとか。とりあえず、さっさと仕事を片付けて、さっさと休暇に突入したい。いろいろと
無理な仕事を押し込まれて、疲労が蓄積している。とにかく、休むしかない。休んで、バランスをもう一度復活させる。


MTron からの連絡だが、まだ来ない。代替品の SSD を発送する時は連絡するよ!なんてメールに書いてあったから
じっと待っているのだが、連絡がない。いつまで掛かんのかなぁ。と思いながら帰宅したら、本日いきなり、韓国からの
荷物が届いていた。もちろん、荷主は MTron・・・メールをチェックするが、何もない。連絡なしかよ!まぁ、いいけどサ。

というわけで早速、HDD との交換を開始。作業はもうこれで3回目なので、困るところは何もない。Latitude X1 から HDD を
取り出してバックアップしながら、SSD を変換基板に接続。変換基板のほうだが、1つだけ修正を施してある。たぶん
関係ないとは思うが、ホログラフィックでキラキラ輝いていた品質保証シールがコネクターの端子に重なっていたので
それを剥がし、完全に除去しておいた。もしかしたら、このシールによって端子間が軽く短絡していたかもしれないので。

ともかく、修正を完了した変換基板を経由して SSD をデスクトップに接続。SSD は冷えているわけだが、問題なく認識。
念のため、この時点で CrystalDiskInfo を起動し、Total Erase Count を見る。初期検査があるだろうから、0 ではないはず。
そう思って値を見ると、およそ 5C000h ぐらいの値を示していた。ほー、最初っからこのぐらいだったのか・・・デバイスの
シリアル番号がわりと古めのものだったので、ふと気になり、ファイル復活ツールを掛けてみる。ひょっとしたら・・・
だが、それは杞憂だった。ファイルの痕跡はまったく見当たらない。MTron の言っていたプライバシー保護ポリシーは
たぶん事実だろう。安心し、いざフォーマットを開始。なお、ファームウェアは 0.20R1。最新版だった。今度こそ・・・

フォーマットを終えたら、HDD からバックアップしたデータを書き戻し、boot.ini と MBR を修正してからいざ起動。
以前とは違って、XP 起動時に流れる芋虫の出現回数が1回 → 3回ぐらいに戻った。なんとなく不安ではある・・・

無事に起動したのち、一応ベンチマーク。0.19 から比べて、性能の変化は無い。さて、今度は何日持つことやら?


2/20

朝。完全に冷やしておいた SSD だが、何ら問題なく稼動。よし、それならば・・・あちこちのホームページを眺めつつ
SSD が入っているあたりの PC の裏蓋をバシバシと叩いてみる。だが、全く問題は発生しない(2代目はコレで死んだ)。
・・・ひょっとして、今度こそ、大丈夫かな?ファームはバージョンアップしたし、変換基板は対策したし。頼むよ!


出社。花粉症&風邪っぽくなってから、歩行を一時中断している。目だった体調の悪化は無い。むしろ、調子は良い。
右足に僅かな違和感はあったが、カバンを反対側の方にかけるようにしたら解消してきた。体の歪みには気をつけよう。

仕事を終え、ヘロヘロになって帰宅。オーナーはヘロヘロだが、SSD は超安定に動作する。朝と同じように、わざと
強い衝撃を与えまくってみるが、やっぱりなんともない。他の部分が壊れそうだったので、衝撃試験は適当に終了。


2/21

さぁ、今日から2週間!特別休暇、ゲットだぜ!

・・・しかし、なぜかいきなり、初日から休日出勤。休暇を取る前にヤッツケないといけない
重要な仕事があったのだが、それが完了していなかったので、出勤せねばならない羽目に。
まぁ、そんなもんさ。どこぞのロッソなポルコのように、「悪いが俺は休暇だ」なんて
渋みの効いた声とともに去っていくなんて芸当は、そうそう出来たもんじゃないのだよ。


とはいえ、休みを取るために前日まで全力全開で働いた私の体と心は、ボロキレのように
朽ち果てる寸前。何らのやる気が出るわけもなく、昼前になってようやく起床。ボンヤリした世界で
まだ戸惑いながらも、思考と視界を少しずつ現世に戻し、飯を食って完全復帰したらようやく出勤。

そんな感じで自宅出発が昼過ぎになったせいか、いつも利用している会社近くの時間貸しガレージは
あろうことか、全て満車だった。う、うぇえ!?少なくとも4〜5コぐらいのガレージが犇いているのに
全て満車ってどうなのよ!?慌てて、少し離れた場所にあったと記憶している、次に安いガレージへ。
幸いにも、そこは細い路地の奥まったところにあるためか、まだ空車が2〜3台分残っている。とても
普通車では車庫入れしたくないような狭い入り口を入って駐車を完了したら、料金看板を見上げる・・・

「終日 100円/60分」

ふーん、料金体系変わったんだ・・・

え!?従量料金しか書いてない!?天井なしに変わった!?

以前、ここは 1000円/日の天井設定があったところだ。ただでさえ儲かりにくい場所だからっていうんで
実質値上げしやがったかクソッタレ!?慌ててクルマのドアを開け、まだ上がっていない電動クルマ止め
よりも前に、クルマを火事場のクソ人力で押し出す。危ねぇ危ねぇ、うっかり引っかかるところだったぜ・・・

だが、押し出してから改めて計算しなおすと、新しい料金体系のほうが実質的に安いことに気づく。だって、
1000円を超える料金になるまで駐車しようと思うと、11時間かかるわけだから。休日出勤であろうと、無限に
深夜残業できるわけじゃない。11時間かけようと思うと、日が変わるまで残業しないといけない。残念ながら
現時点においては、法律的な制約によって、それだけの長時間残業をすることができない。だから、
結局のところ、駐車料金は以前よりも安くなるってことだ。・・・へ、へっへっへ、なァんだ旦那、
安くなるってンなら最初っからそう言ってくれりゃあいいのに、エッヘッヘッヘ・・・この上なく
卑屈な商人笑顔を浮かべながら、もう一度クルマを駐車位置に戻す。急いて事を仕損じかける。


仕事。SSD を入れた Latitude X1 を傍らに置き、メインマシンで別の作業をしながら、ThinkPad X24 で構築していた
Ubuntu 入り HDD の内容を USB 外付け HDD に丸ごとコピー。しかるのち、USB 外付け HDD を Latitude X1 に接続し、
そこから Ubuntu を起動させてみる。論理的には問題なく起動するはずだったが、実際やってみて、何の設定変更もなく
あっさりと Ubuntu が起動してしまったのを見たときは、さすがに驚いた。X.Org の設定1つ変更することなく、
ThinkPad X24 上で構築した環境は、そのまま Latitude X1 上で動作。表示も、ワイド液晶の解像度ぴったりで。

FreeBSD 2.0.x の頃から PC-UNIX を使い始めた人間の経験として、ほとんどの場合、他 PC で作成した環境を移動すると
X の表示は正しく行われなかった。設定を適切に変更するまでが一苦労だったのだが・・・なんだ、この超イージーさは!
非常に緩慢ではあるが、デスクトップ環境としての PC-UNIX は、確実に進歩している。FireFox もあるし、OpenOffice.org も
ある。日本語フォントもいつのまにか充実していたし、IME だって canna とかと比べたら、Anthy は十分使い物になる。
たぶん、プリンターだってすごく簡単に使えるようになってるだろう。ああ・・・すごいねぇ。長生きはするもんだ(?)


仕事中、何度か Latitude X1 を弄ったが、SSD は超安定。以前のような、死ぬそぶりすら見せない。もっとも、まだ
SSD に交換して日にちが経っていないから、死なないともいえない。2回目の交換のときは、換装後のわずか3日後に、
超快調に動いていた途中で何の予告もなくいきなり死んだからな。大事なデータを SSD だけに置かないよう、用心用心。

しかし、これだけ快調に動いてる理由って、なんだろう。可能性として考えられるのは、最初と2回目に入手した SSD が
2連続でスカであったということの他、やっぱり、変換基板に貼り付けてあったシールがパターンを一部短絡させていた
かもしれないという点だろうか。意外と、後者はアリかなと思っていたりもする。振動によって不良が発生したのならば。


そんな感じで残務を進めるが、なかなか片付かない。結局、今日だけでは全ての作業が終わらず、明日も出勤することに。
へへ、どうせこうなるだろうとは思っていたのさ、へへ、へへ・・・休日は、実質2日減。どこかで取り返してやる!


2/22

というわけで、今日も仕事。少し早めに自宅を出発したお陰か、いつものガレージが確保できた。ガッツ。

仕事をしながら、傍らに Latitude X1 を置き、時折 SSD の調子を確認。ずっといい感じ。だが、日数的に今日が厄日・・・
換装後3日を経た本日(2回目の SSD は3日目で壊れた)、意識的に何度も衝撃を与えてみる。動作中に裏返して叩いたり、
SSD の入っている部分に力を集中させながら曲げモーメントを与えてみたり。だが、まったく問題はない。一度だけ、
何処かの Web ページを表示するときにウッと詰まったりもしたが、SSD に問題があったわけではなかったようで、
その後、何の問題も起きず、処理は継続された。・・・詰まったというのも、気のせいだったかもしれない。
いずれにしても、全く安定して使えている。コレで大丈夫なら・・・デフラグしてみるかな・・・
(1回目/2回目とも、デフラグをした数日後に故障している。因果関係はまったく不明だが)


結局、遅い時間まで仕事を継続。このところ、体調はそれほど悪くないが、右腕がちょっと疲れ気味。以前のように、
指先が痺れるといったところまでは至らないものの。まぁ、仕事でずっと指先を使っているわけだから、当たり前といえば
当たり前か。腰はそれほど問題ないが、腰とつながっている足はまた、少し弱り気味。デスマーチは本当に、命を削る。

忘れていた。この一週間ほど、少し咳込み気味。空咳っぽいが、たまに痰が絡んだりもする。どうにも風邪っぽいが、
冬風邪の症状でもない。ましてや、インフルエンザなんていう劇症な病気でもない。なんというか、気管支を痛めてる感じ?
花粉がビシバシ飛んでいる時期だし、呼吸器系の粘膜が乾燥状態に曝されているという可能性は高い。いやな病気だよ。
こういう感じの、比較的ライト(?)な体調不良は、しばらくの間つきあっていかねばならない病気のように思えた。
まぁ、しょうがないね。これまで何年間も、ずっと無理させ過ぎたから・・・右手自体に軽い違和感を覚えることがあるが、
原因はおそらく、肘と頚椎。事務作業で正しい姿勢を取ってこなかった代償さね。正しい姿勢で養生養生。そのうち治るさ・・・


2/23

・・・というわけで、休日出勤ラッシュはとりあえず終わりを告げ、ようやく休暇に入る。
だが、昨日までの仕事ですっかり体力は奪われてしまった。旅行のプランニングも完了していないので、
本日出発ではなく、明日出発。金曜日中に帰着する予定で、今日は、旅行準備とプランニングだけに当てる。

・・・んで、プランニング結果は以下のとおり。この土日が使えなくなったのが、ちょっと痛い。

2/24AM 4:00京都発 → 中国道
PM 1:15山口・徳山港着
PM 1:59山口・大津島着
PM 3:35山口・大津島発
PM 3:53山口・徳山港着
PM 6:00山口・川棚温泉着
2/25AM 9:00山口・川棚温泉発
山口・角島
山口・毘沙の鼻
山口・秋芳洞
山口・秋吉台
山口・湯田温泉
山口・長門市
PM 6:00山口・長門湯本温泉着
2/26AM 9:00山口・長門湯本温泉発
山口・萩
島根・益田
島根・温泉津温泉
島根・石見銀山
島根・大田
PM 5:00島根・玉造温泉着
2/27AM 9:00島根・玉造温泉発
島根・出雲大社
島根・おろちループ
中国道 → 京都着


初日と2日目は、距離も短いし、まず予定のコンプリートは問題なかろう。問題は、3日目・・・距離にして 250km ほど。
これまでの経験上、観光を含めて一日 200km を 9時5時 でこなそうとすると、だいたいぴったりな感じになる。山陰の道路は
流れが良いはずだから、250km はたぶんイケると思うが・・・まぁ、あまり余裕が無いってのは確かだろうな、おそらく。
本来、今回の旅行は「あまり遠くない場所を、ゆっくりしながら回る」ことが目的の1つだから、無理はしたくない・・・

ともかく、宿の予約を終え、計画は整った。荷物をまとめてカプのトランクに押し込み、車両をざっと点検。大きな問題は無い。
エンジン音も正常、タイヤの空気圧もチェックした・・・よし。少なくとも、旅行が終わるまでは無事に過ごせるだろう。

準備が整った頃には、もう夕方だった。おっと。明日は高速料金節約のため、朝 4:00 までに高速に乗らねばならない。
(もし起床できなければ、大津島訪問を省略する予定)。早めに夕食を取り、風呂に入って睡眠薬を一錠飲んでおく。
情けないが、生活習慣をまったく異なるパターンに切り替えるためには、どうしてもコイツ(睡眠薬)の助けが必要だ。

布団に入る前、やはり少し風邪っぽいことが気に掛かる。体調確認のために、体温を測っておく。36.8℃か・・・少し高い。
季節の変わり目でもあるし、やっぱりちょっと体調を崩し気味だ。旅行に行ってこれ以上悪化させることがないよう、
早めの宿到着・遅めの宿出発を心がけようと思う。体力を限界まで使えるのは、若者の特権だからな・・・(涙)


眠る前、1つだけ作業を忘れていた。意を決して、Latitude X1 上でデフラグを実施してから、SSD の内容をフルバックアップ。
無線LAN 経由ということもあり、およそ 40分ほどの時間を要する。その間、頻繁にリードオペレーションが発生していたわけだが
MTron の SSD は結構な電気食い(1.8" HDD のほうがずっと電気を食わない)なので、SSD の付近が結構熱くなっている。
S.M.A.R.T では温度が表示されないので、正確なところは不明だが・・・しかし、それでも問題が起きる気配はない。
ああ、もう、たぶん大丈夫だ。今度こそ。この旅行を超えて SSD が健在だったら、それこそ絶対に大丈夫だと思う。


そんな感じで全ての準備を終えたら、さっさと布団に入って休息を取る。明日からは、楽しい旅の日々だ・・・。


2/24

・・・12時ごろに一度目覚め、それから途切れ途切れの浅い眠りに入る。十分に休息を取れないことについて
軽い不安を感じつつも、とりあえず当初予定通りの3時過ぎに起床。下手をすれば、これから眠りに入るような
そんな時間帯。生活習慣を急激に変化させると、必ずどこかに歪みが出る。それが旅行中に出ないことを祈る。

目を覚ますため、軽く朝食・・・否、夜食?を取っておく。消化器が働いているうちは、眠気が来ないためだ。
天気予報を見ながら、出発準備を進める。ふと、ジムカーナの練習に明け暮れていた数年前のことを思い出す。
あの頃も、2週間に1回ぐらいは、こんな時間に起きだしては福井やら奈良やらに出掛けていたものだ。
一体、どうしてこんなに、体力的(スタミナ的)にヨワい人間になってしまったのだろうね・・・


3時半を過ぎるころになり、いよいよ出発。荷物を全て載せていることを指差し点呼したら、玄関の鍵を締め
カプの真っ暗な運転席に座る。出港準備、開始。ひざ掛け毛布を太腿の上に置き、ETC カードを差込み、
ポータブルナビをかちゃりとセット。ナビの電源を ON にして、目標地点をとりあえず「徳山港」に設定。
10秒ほど考え込んだナビは、高速道路を経由する正当なルートを計算し、予想到着時刻を表示。予定通り。

一呼吸置いたら、イグニッションキーを ON に回し、一旦止める。背後の燃料タンクから、軽い高周波ノイズが
聞こえる。キーン……同時に、腹の下を這う燃料配管の中にガソリンが流れるコーッという音が伝わってくる。
燃料系、正常。5秒ほどで、燃料に圧力を掛ける儀式は自動停止。ステアリングコラムの上に装着してある
デジタル電圧計の表示は、燃料ポンプが止まると同時に 11.5V 程度まで上昇。蓄電池系、正常。・・・よし。
更に、インパネ右のほうに仮設置してある水温計/油温計にも目を走らせる。いずれも、一ケタ台の値を示す。
本来ならば数分の暖機運転が要求される状況だが、深夜早朝のアイドリングは厳禁だ。動きながら暖める。

各ペダルの踏み心地とシフトレバーの動きに違和感がないことを確認したら、イグニッションキーを IGN へ。
キュルルッ!ローコンプで小型のエンジンのセルは、リダクションもしていない関係上、回転音が非常に軽い。
そして、すでに規定圧に上がっていた燃圧は、一瞬にしてエンジンを始動させるのに十分な量の燃料を吐く。

機関の正常始動を確認したら、すぐさまギアを入れ、アイドリング回転のまま駐車場を出発する。さぁ、いざ西国へ。


まだ夜明け程遠い町中は、優雅に明滅する信号に溢れている。その眺めは、航空障害灯のついた高層ビル群にも
匹敵するものがある・・・というのは言い過ぎか。暗闇に包まれた独特の非日常感に軽い浮わつきを覚えつつ、
十分に水温が上昇したことをチェックし、アクセルを踏み込んで主要国道へ。この時間の国道は、大型トラックの
世界だ。朝一番に間に合わせるべく、10t クラスの大型トラックが間断なく走っている。なるべく彼らの
走りのテンポを邪魔することのないよう、車線と車速を慎重に選択する。大変な仕事だろうから。

予定通り、4時前に高速道路へ乗る。これで 50%割引が成立。次のマイルストーンは、13時過ぎに船に乗る、だけ。
そこに至るまでに与えられた時間は、8時間。ほぼ全線で高速道路が使えるから、まったく急がない旅だ。燃費を
重視し、巡航ペースを制限速度以下に落としてゆっくりと走る。ここ数日ぐずつきがちだった天候は、幸いにも良好。
膨大な量のトラックの間をゆっくりと縫いながら名神を抜け、ナトリウムランプの幻想的な橙色で彩られた中国道へ。

夜の高速道路をゆっくり流している間は、刺激に乏しい。低くて静かな排気音に包まれながら、カプは西へ向かう。
豊中あたりの近未来的な立体構造を通り抜け、渋滞の名所・宝塚を何事もなく通過。高速道路は少しずつ市街地から
離れ、周囲の暗さが再び深まっていく。西宮名塩の登り坂。大型トラックに道を譲りながら、まったりと登る。
登りきったら、山陽道との分岐まで急降下。やがて現れた J.C.T. で山陽道と分かれた瞬間、交通量は激減する。

・・・物流トラックは皆、山陽道で瀬戸内へ向かうのだろう。八王子 I.C. を過ぎた中央道のように、中国道は
山陽道の分岐から先で一気に照明を失い、暗くなる。交通量が減ったこととあいまって、寂しさ爆発だ。だが、
こういう時間帯は、少し静かなぐらいがちょうどいい。旅の道連れは、FM ラジオから流れる松本人志と高須光聖の
「松本人志の放送室」だ。こういうくだらない(←いい意味で)トーク番組は、聞いていて疲れないし、楽しい。
しばらくの間、暗闇の中を走る私は、この番組に聞き耳を傾けていた。だが、中国道はこれより山間に入る。
FM osaka の電波はやがて地形に阻止され、ノイズに埋もれ、聞こえなくなった。残念。選局を KissFM に
変更するが、軽妙なトーク番組はもはや期待できない。やむなく、CD(マリア様がみてるラジオ)に変更。

その早期過ぎるほどの建設時期ゆえ、長大なトンネルや高架がほとんど無く、中国山地の複雑な地形を這うように
くねくねと曲がる中国道。眠気を呼ばないという意味では、ちょうどいいのかもしれない。普段なら爆睡している
4時過ぎという時間帯であっても、まったく眠気は来ない。やがて、時計の針は4時半に達する。看板を見れば、
ひょうご東条付近を通過中。その後も同じペースを守り続け、5時ごろには加古川を通過する。予定通りかな?


ここまでの区間、空はただ黒いばかりで、特に天候が乱れる気配は無かった。だが、地形のせいか何のせいか、
やがて少しずつガスってくる。佐用 I.C. を通過し、次に現れた勝央 S.A. で一旦トイレ休憩&ネット接続試行
しようと考えるが、残念ながらここに至る頃には、ついに空から雨粒が落ち始める。ああ、雨か・・・せめて、
昼過ぎの瀬戸内が、大雨にならないでくれればいいのだが(雨の中の散策は、さすがに面倒くさいので)。

ともあれ、休憩。真っ暗だった空も、このあたりに辿り着いた頃には少しずつ紺色を帯び始めた。夜明けも近い。
そう思いながら、それなりに人気の多い S.A. 施設内で一休み。机に座ってコーヒーを飲みながら PC を開くが、
残念ながら、この S.A. では、FREESPOT はサービスされていないようだった。いや、それどころか、フレッツ・
スポットや BB 某などのサービスすら見当たらない。やっぱり、NEXCO 中日本しか乗り気でないのか?>無線LAN

トイレを済ませ、出発。空の青さはどんどん白さを増し始め、雰囲気は一気に朝へと変わりだす。同時に、周囲の
景色もはっきりと見えてくる。中国道を間に抱く山々を眺めるが、いずれの山も、中腹から上が全く見えない。
雨雲が、かなり深く垂れ込めているらしい。あるいは雪の可能性もあっただろうが、幸いにもこのところ、
まったく冬らしい天候が訪れない状態。涼しさこそあれ、雪が降りそうな寒さは微塵もない。ありがたい。


勝央 S.A. を出て、さらに西へ。落合 J.C.T をやり過ごし(米子道って、そういえば一度も走ったことがない・・・)
山間の開けた地形に作られた北房 J.C.T へ。まさに、ここに J.C.T を作らねばどこに作るのか、といった地形だ。
さて、ここらでそろそろ、瀬戸内へ向かうか。北房 J.C.T で中国道と別れ、岡山道へ。このぐらいの時間となると、
さすがに交通量は増えてきている。岡山道も、多くのクルマが往来している。流れに乗って山を登り、吉備高原を
一望できる地、高梁 S.A. に到着。かなりの高地だから、そろそろ雪の1つでも・・・と思うものの、ここでも見当たらず。
ただ、寒さだけはそれなりに厳しい。ノート PC を片手に、僅かな温もりを得るべく、小走りで S.A. の施設へと向かう。

S.A. の施設から駐車場に向かって長く伸びた通路と屋根の先に到着。パラパラと降り続く冷たい雨から身を守り、
まずは一息。ふっと後ろを振り返ると、雨の中で静かにうずくまるカプの他に、通路の先に付けられた看板の裏に
鈴なりになって雨風から身を守っているスズメ
の姿が見えた。な、なんだこれ・・・なんだこのスズメ、かわえー!
少し近くによって写真でも・・・と思ったが、やたらに警戒心の強い彼らは、僅かに近づいただけで四散した。無念。

まだ早朝ということで営業が始まっていない高梁 S.A. では、風雪から守られた小さな自動販売機用の区画で
僅かな暖しか取ることが許されなかった。念のため、ここでもノート PC を開く・・・が、無線LAN は無い。
S.A. 自体がまだ営業していなかったから、かもしれないが・・・今のところ、インターネット不毛地帯は続く。


ともあれ、今のところは全て予定通り。クルマの元に戻り、エンジンを始動して出発。高梁 S.A. を出て南下。
高梁 S.A. を過ぎるころになると、岡山道4車線化の工事現場の北端がぽつぽつと見え始める。東海北陸道といい、
縦貫道の4車線化はよく見られる光景だ。道好きとしては、道がどんどん新しくなっていくのは楽しみだ。

実際に4車線化が完了した区間も、かなり北進してきている。ほどなく4車線区間が現れる。さすがに、
現在の交通量に対してはまだオーバースペック気味なのか、クルマの姿は疎らになる。私の他といえば・・・
すぐ後ろを走っている営業車ぐらいか。そういえばこの営業車・・・なんだか不思議な状況で、私に対して
2度、パッシングを行ってきた。1回目のときは、私が追い越し車線側を遅めのペースで走っていたため、
後ろの彼からの所謂ドケオラパッシングかと思った。これは申し訳ない、営業車は先を急ぐだろう・・・と思い
車線を変更して進路を譲るが、しかし彼は一向に追い抜いていく気配がない。あるいは、取り締まりでも?
とも思ったが、岡山道に固定オービスは無いし、路肩に移動オービスの姿もない。前後に覆面も居ない
(後方の営業車は軽自動車だし、乗員は1人だった)。はて???そのまましばらく走り、100m 以上
後方に居たまま追い越し車線をキープしつつ近づいてこない営業車をミラーで数分ほど眺めたのち、
こちらももう一度追い越し車線に出て、ペースを変えず走行。その後数分ほど、まったく変わらない
位置関係を維持したのちに、営業車はまた思い出したように、短いパッシングをしてきた。

・・・ごめん。わかんねぇ。何か教えようとしてると思うんだけど、何が言いたいのかさっぱり理解できねぇ。

念のため、バックミラーにオイル系の白煙が映ったりしていないことを確認したら、もう一度走行車線に戻って
たっぷり減速し、強制的に追い抜かせる。だが、追い抜きざまであっても、こちらを一瞥すらしない運転手。
車両にマズいことでも起きていたら、さすがに何か言ってくるだろうと思ったのだが・・・わかんねぇ・・・


頭の中に大量の「?」マークを浮かべた状態のまま、岡山道を抜けて山陽道へ流入。早朝の山陽道は、
さすがに交通量が多い。必然的に上がってくるペースに乗って快調に走り、8時半に福山 S.A. へ到着。

徳山からフェリーが出航するのは 13時過ぎなので、12時半ごろに到着していれば十分だろう。となると、
ここから4時間。距離的に半分は超えているはずなので、時間的には余裕綽々、かな?などと油断しつつ、
クルマを降りて S.A. の施設へ。ノート PC を開いて無線 LAN AP を探すが、ここにも存在しなかった orz
今のところ、ネット接続環境はまったく見当たらない。最終日の宿は移動中に取ろうと思っていたのだが、
やっぱり出発前に取っておいて正解だった。この調子では、いつネットに接続できるかわかったもんじゃない;

S.A. 内を少し散策。当初は、朝飯は沼田 P.A. でお好み焼きってことにしよう、などと思っていたのだが、
福山 S.A. にて、沼田 P.A. は改装中で半分閉鎖状態にあることを知り、ショックを受ける。なんてこった!
事前調査をもっとしっかりやっておくべきだったかもしれない。ああ、あのたまらなく美味い広島お好み焼きは、
次回訪問時まで持ち越しとなったか・・・。不運を呪いつつも、直前の福山 S.A. で気づいたことは幸運だった。
予定を変更し、ここで尾道ラーメンをぶりぶり食する。これはこれで美味いから、まぁいいか。転んでも泣かない。

食事を終えた後、カプから取り外していた nav-u を片手に、徳山港までのルートをチェック。この後、元々は
広島道経由で中国道に入り、山口 J.C.T で東向きに折り返して徳山へ向かう予定だった。つまり、中国道の中でも
もっとも交通量が少ないと言われる、広島北〜山口区間を走っておくつもりだった。だが、福山 S.A. から徳山に
向かうために、わざわざ山陽道じゃなくて中国道を使った長大な迂回路を想定してくれるほどバカなナビじゃない。
当初想定していた到着予定時刻は、当然ながら山陽道をまっすぐ進んだ場合の話。中国道を経由するルートだと、
到着予定時刻が 13時となる。フェリー出航が 15分だったはずだから、ほとんどギリギリか、間に合わないか。

・・・しばらく考える。安全策を取って、当初の予定を曲げるか?それとも、時間と戦ってみるか?


だが、ゆっくり考えるほど、走るための時間も奪われる。とにかく言えることは、ナビの到着予想時刻計算は
これまでの巡航速度(かなり遅め)も加味したものになっているはず。ここから少しスピードアップすれば・・・
よし。いける。行ける・・・はずだ。行けるに違いない。経験上、これぐらいの残距離なら、これぐらいで・・・

提督の決断は完了。回る。中国道を経由するルートに変更だ!ナビに残時間計算を任せ、運転手のほうは運転と
一番大事な「景色鑑賞」に専念。残距離から考えて明らかに足りないガソリンを福山 S.A. で給油し、出発。

ここから後はしばらく、走行ペースは上がり気味になる。ここまでゆっくり走ってきた分には、騒音も少なくて
非常に疲労の少ない旅であった。だが、ここから先は騒音レベルが上がるし、緊張度もいくらか高まる。
ぐぐっと疲労度が上がるのと同時に、軽い眠気が頭をもたげて来る。幸いだったのは、雲が東に遠ざかった
ためか、しつこく降っていた雨は上がり、路面状態が一気にドライ化してきたことだった。路面に不足なし。

予定より少し早めに、広島 J.C.T に到着。いいペースだ。山陽道から分岐し、市街地を一気に離れていく
広島道。想像よりも交通量は多かったが、いくつかの I.C. を過ぎるころには、同行車は皆無に近い状態へ。
当然ながら、広島北 J.C.T で西行きの中国道へ向かう車両など、他に居るはずもない。小高い地形から
鈴張川沿いの工場地帯をオーバーパスしつつ分岐した中国道は、そのまままっすぐ山に突っ込んでいく。

この分岐の直前、自然が豊かな地域であることを妙に強調した看板が立っていたことが気になった。なぜだか
この区間の中国道は、もはや交通のメインストリームとなることを諦め、観光道路としての余生を歩むことを
決意したかのように見える。実際のところ、牛頭山トンネルから始まるこの区間の中国道は、それまでずっと
トンネルや橋脚による地形のショートカットを頑なに拒んできた東側の求道的な姿とは全く異なっており、
東海北陸道の砺波側の山間部に近い、観光道路的な雰囲気。深い山と谷で構成される地形の中を直線的に
突っ切っている中国道を支える橋脚とトンネル群は、予想以上に風光明媚な景色を私の前に与えてくれる。
特に、北側に広がる景色がすばらしい。まるで、この景色を楽しむ VIP のために作られた特別観覧席の
ようにすら思えてくる。深く垂れ込めた雨雲が山の中腹まで垂れ掛かり、幻想的な風景を作っている。

しばらく走るうち、やがて中国道最高点(標高 721m)を通過。標高 1,000m を越える東海北陸道と比べれば
大台に乗らないその高度はインパクトに欠けるが、それでもこのあたりは豪雪地帯のはずだ。雪の欠片すら
見当たらないために、まったく実感はできないが・・・霧に白く取り巻かれた景色が、厳しさを僅かに伝える。



いずれにしても、適当な P.A. に止まってゆっくり観覧できるものならばしていきたい。そう思えるような
絵的にすばらしい景色が続くのが、この区間の中国道の特徴か。私の旅行は、いい所で急ぎ足だ。後悔先に立たず。


・・・だが、観覧以前の問題で、昨年7月以来の久々の自力長距離移動に挑戦している我が体のほうが
限界に近づいていた。ずっとハンドルを握る右手の肘が、なんともいえないダルさを催してきた。
到着予想時刻を少しでも余裕あるものにすべく、ぎりぎりまで休憩を入れずに頑張ってみたものの、
無理が通らず道理が引っ込まない。結局、鹿野 S.A. まで山を下りきったところで力尽き、休憩。



というわけで、なんだかんだで遂にやってきました山口県。トイレの入口に書いてある絵なんかも、
維新の頃がモチーフになっているようだ(有名な人物かもしれない)。明治維新の立役者である薩長同盟の
片方の末裔である鹿児島では、なぜかこういう系統のモノはほとんど見かけなかったような気がする。
あってもせいぜい、西郷隆盛個人を称えるものぐらいだ。薩摩人と長州人の考え方の違い、だろうか?

トイレを済ませたのち、クルマの後ろ側を中心にざっくりと目視点検。岡山道でパッシングを受けたので
過度に故障を警戒していたが、特にへんなところは見当たらない。排気管からはいくらか煙が出ているが、
オイルが燃えた煙ではなく、完全燃焼時の水蒸気の煙のようだ。今日は気温が低いのか・・・いや、おそらくは
朝方の雨&湿度を含んだ空気の流入によって、空気中の水分がかなり多くなっているからではないかと想像。

なお、一番気になっていた塩カルだが、不思議なぐらいに車体は白くない。まったく撒かれていないかも。
確かに、ここに至るまでの間、見える範囲の路肩や山体に、雪の痕跡を認めることはできなかった・・・


鹿野 S.A. で計画再考。相変わらず無線 LAN AP は存在しないので、ナビ内の情報だけで計画を練る。
目的地となる徳山港は、周南市役所のすぐ近くにある。周南市役所は・・・今停車している、鹿野 S.A. の
ほぼ真南に 20km ほど進んだ地点にあった。うーむ?ひょっとして、さっき通過した鹿野 I.C. を降りて
R315 を南下するのが一番速かったか?大体、この区間の中国道も理解した感じがあるし、その状態で
ここから山口 J.C.T まで行って折り返してくるのもちょっと無駄がある、いや、残り時間的に無理がある。

しばし考えた結果、やっぱり最近傍の I.C. で降りて国道を走り、徳山港を目指すことにしようと結論。


最近傍の I.C. は、山間の小さな町に下りる徳池 I.C. だった。やぁ、山口県。私の足跡はここから開始。
ランプウェイの緩やかなカーブをトレースし、R489 へ降りる。そこはとても小ぢんまりとした町で、
故郷から遠く離れていながらも、どこか懐かしさを感じさせるものがあった。ナビの指示に従い、
まずは少し南下して、R376 へ。どうせ田舎道・・・というなかれ。得てして、田舎道ほど立派だ。
山口県においても、それは例外ではない。島地川沿いの平地の淵に沿って走るその道は、立派だ。
どことなく、福井県の今庄あたりの風景を連想させる。だが、見える景色の中で、唯一違う点は

ガードレールが黄色い。



この一言に尽きる。昔、何かの TV でやっていた「山口県のガードレールは黄色い」という話が、
作り話ではなかったことを知る。ただ、現実はちょっとだけ違っている。全てのガードレールが黄色い、
というわけではないようだ。場所によってはまったく白かったり、ところどころ白かったり、裏側が
白かったり。正確には、黄色いガードレールも混じっている、という状況。いかんせん中途半端なので
いったい何がやりたいのか、わからない。別に、黄色いところが危ないよ、という感じでもないし・・・
黄色い理由と塗りわけ基準が知りたい。探偵は、きっちり仕事する立原啓裕さんでお願いします。


やがて R376 は徳地の小さな平野部を離れ、谷間の川沿いを快調に進む。時折、川沿いの集落が見える。
2月だというのに、山も集落もわりと色鮮やかだ。暗いながらも緑を保つ木々の下に、橙に近い赤茶色の
明るい色の瓦をのせた家が並ぶ。というか、どの家の屋根瓦も、だいたい赤茶色だ。ふと、そういえば
九州のほうでも、同じような色の瓦が多かったような記憶が蘇る。近畿ではあまり見かけないので、
たぶん西方の特産みたいなものではないかなぁと思ったりもする。荻とか、津和野とか、唐津とかね。

R376 から R489 にスイッチし、さらに南下。山陽道をくぐると程なく、ぱっと開けた大通りに出る。
山地を抜けて、海沿いに出たようだ。それまでずっと自然豊かな景色ばかり見てきた両目には、
遠くまで広がる視界と、遠くのほうで勇ましく煙を上げる海沿いの工場群の景色が新鮮に映る。
決して、徳山(周南)は大きな街ではない。だが、この視覚的インパクトは半端ねぇ。

ナビの指示通り、R2 を経由して周南市に入り、農業会館前交差点で右折。道なりに走って海沿いの
県道 172号へと出たら、南下。徳山駅をかわしてフェリー乗り場の正面に到着。時計を眺めてみれば、
出航までは、まだ1時間弱。どうやらナビは、かなり余裕を見すぎた予想時刻としていたようだ。


まぁ、余裕がある分には、いいか。なにより、まずはカプの駐車場を探さねばならんわけだし。ここは
フェリーターミナルなので、駐車スペースは山盛り存在する。だが、どこに停めて良いかは書いてない。
たまたま見かけた地元のおっちゃんおばちゃんペアに聞いてみるが、よくわからないらしい。やむなく、
乗り場の一番北の端で、すこし分離されたようになっている小さな三角スペースにクルマを仮止めし、下車。
回天を伴って岸辺に立つフェリー乗り場の建物に向かい、チケット購入ついでに聞いてみることにした。



フェリー乗り場は、わりとこぢんまりした作り。だが、よく見ると、何かがおかしい。建物の中に入り
案内図どおりに奥のほうに行って、ようやく気づいた。この建物、大津島巡航(フェリー会社)だけじゃねえ。
周防灘フェリーという、もっともっと大きなフェリー会社と合体した建物になっている。より正確にいえば、
大津島巡航のチケット売り場は、大きな待合室の横の、まるで食事処の入り口と見間違いそうな格子戸を
入ったその先にある。これはまったく予想外のトラップだった。少し早めに到着していて正解だった。

往復のチケット \1.3k 弱を購入後、横にあった窓口で、クルマを停めていい場所を聞いてみる。答えは、
適当に見繕って停めた当初の場所で OK、というか、その場所だけが OK なんだそうな。白い柵の向こう。
駐車可能台数があまり多くないので、休日とかだと停める場所がなくなるかもしれない(平日昼間でも、
あと4台分ぐらいしか空いていなかった)。近くに有料駐車場があるわけでもなさげ。少し困りモノか。


チケットを入手したら、あとは出航を待つばかり。いささか時間が余ったので、なじみの薄い港湾風景の中を
少し散策。ここは工業港でもなく、漁業港でもない。旅客/貨物輸送用の港。駐車場ばかりが目立つ。少し、
南港フェリーターミナルと似た感覚を覚える。ともあれ、昼過ぎという時間のせいもあってか、港には
何の動きもない。すぐに飽きがきたので、駅のほうに向かって少し足を伸ばす。だが、そちらに行っても
やっぱり何もない。明るくはあるが、少し寂れた雰囲気が町を包む。探索はすぐに終わる。しょうがないので
大津島巡航専用の殺風景な待合所の中の粗末な長椅子にひとり居座り、日記メモを取りながら時間を待つ。

数十分ほども、時間が経っただろうか。無線LAN の電波は相変わらず捕まらず、それゆえにヒマを持て余す。
岸壁には、出航する雰囲気をまるで見せないフェリーがずっと停泊している。しばらくは人の姿も無かったが、
かなりの待ち時間を過ごしたのち、ようやくフェリーに向かって歩く初老の人影・・・いや、集団が見え始める。
少しばかり、戦慄する。せっかく人の少ない平日に訪れたというのに、騒がしい旅行集団と同行せねばならぬのか。
せっかく、雲が切れて晴れ間が現れるまでに天候が好転してきたというのに・・・少し、残念感は残る。

フェリーに乗り込み、閉じた客室の一番前の端に座る。射してきた陽光のせいか、船内はほどよく暖かい。
全体に伝わる低い機関音と振動が、子守唄のように意識の中に寄せてきて、私をまどろみの淵へと手招きする。
出航前にデッキへ出て、岸壁の風景を眺める。先ほどはただの旅客取扱港と思っていたが、遠景を眺めれば
そうでもない。貨物船も居並び、日本の誇る重工業力の一端を担う港であることがわかる。かっこいい。

出航予定時刻が訪れる。何のアナウンスもサイレンもなく、機関音を高めた船は、静かに港を離れていく。
遠ざかる本州。フェリーでの大津島への旅は、およそ 45分ほどかかる。疲れた。少し、眠っておこう・・・


・・・船舶のディーゼル機関が奏でる重低音の子守唄に誘われ、枕にしていたリュックサックの表面の模様が
程よく顔に転写されるほどに眠りこけた頃、目が覚める。船はまだ航行中のようだったが、ちょうど減速を開始。
あれ?もう到着?と思って外を眺める。朝方に垂れ込めていた雲はどこかに飛び去り、左舷側に見える瀬戸内の島は
明るい褐色の肌を黄色い陽光の強い照り返しで彩っている。それはとても活力みなぎる光景だ。少し良い気分で
ぐるりを見回すと、右舷側には、ほとんど人気の無い桟橋が船を出迎えていた。なんとなく、目的地とは
違う港のように思える。その感覚は正しい。ここは途中の寄港地。少しだけ接岸し、すぐに離岸。

船はくぐもったディーゼル音を響かせ、徳山港を遠く望む大きな島(大津島)の周りをぐるりと航行。
居眠りにより方向感覚を失っていた私であったが、事前に航路図を見ていたので、場所は想像できる。
頭の中の航路図の上を船は正確にトレースし、ほどなく最終目的地・馬島港に到着した。



馬島港は、まるで後から埋め立てて作ったかのように、この起伏豊かな島に不釣合いな広い平場に存在する。
後で調べたところによれば、かつて2つの島が別々にあったものが、400年ほど前に繋がって大津島に
なったそうだ。馬島港は、ちょうどその接続点付近にある。だから、海抜の低い平地になっているのか。

ゆらゆらと静かにゆれる船から逃げるように降り、ともかく大津島に上陸。港には、ごく小さな待合所と
大きな看板の他に、観光地を思わせる施設はない。漁船が居並び、漁港につきものの頑丈なばあちゃんが
我々の姿に視線もくれずに歩き回っている。案内看板も、あるのやらないのやら。事前にあまり調査を
してこなかった私は、ここで少し困ったことになった。果たして、どこに行けば回天関連の遺構に会えるのか?

・・・ともかく、足を進めよう。大きな看板の立つ橋のほうに歩いていくと、有難いことに、そっけないが
必要十分な情報の書かれた案内板が立っている。その看板に従って先へ進むと、ちょっとした公園の先に
なにやら、まるで兵舎にしか見えない木造の建物が並ぶ場所に出る。というかそれは実際に兵舎だったようだ。
(もっとも、今は兵舎ではない。もっと平和な用途に転用されている)。年季の入った建物の外板は
うす白いこげ茶色になり、往時の雰囲気を醸している。おそらく、そのままじゃないとは思うけど。

兵舎の横を歩くと、すぐに山体に行き当たり、道はY字に分岐する。右手に行くと回天記念館、左に行くと
回天発射訓練場、か・・・とりあえず、左から行ってみよう。そう考え、海岸まで張り出す岩山の腹へと
突き進むルートを辿る。岩山はあっというまに目の前に迫り、道を遮り、そして・・・



・・・私のトンネル恐怖症は、いまだに治っていないらしい。この、鋭く穿たれた狭い逆U字型の入り口から
続く空間を見ると、無意識のうちに足が竦んでしまう。だが、ここで引き返すことはできない。太平洋戦争の
歴史から逃げることは、この日本に生を受けた人間としてできようはずがない。意を決し、入洞する・・・

断面積の狭いトンネルは、明るい照明で彩られ、陰鬱さは感じさせない。綺麗に塗り固められた壁のコンクリは
白く乾燥気味な状態で、清潔な感じを受ける。歴史の長いトンネルのはずだが、地質がよほど良いのだろう。
人が2名ほど横に並んで歩ける程度の幅の空間を進むと、唐突に広くなった空間に行き当たる。そこには、
このトンネルの由来を示す自動案内装置が数個ほど据え付けられており、何か意思を持ったものが前に立った途端
硬質な壁で囲まれたこの狭い空洞の中に、よく響く声で案内を始めてくれる。それがどこどなく哀しげであった。

いくつかの案内を聞いたのち、さらに奥へと進む。トンネルは左に曲がりつつ明るくなり、岩山を抜けて外へ。
その刹那、強い海風に頬を叩かれて思わず目を閉じてしまったが、瞼の裏には鮮烈な景色が・・・

まったく事前調査していなかったことが有効(?)に働いた。これはもう、記憶から消し去りようがない。
岩山に穿たれた穴倉から海に向かって伸びたコンクリート性の桟橋の先にあったのは、朽ち掛けた謎の建造物。

恐る恐る近づいてみれば、それこそが回天の発射訓練場だった。最小限の直線で無機質に構成された建物は
長年の風雪を経て少しずつ崩壊が始まっており、それが寂寥感を一層強いものにしていた。そんな場所であっても
無関係に糸を垂れて楽しんでいる太公望達。日本はしっかり平和になっているということだ。彼らの不審げな視線を
ものともせず、建造物の中へ。金網で仕切られた先にある溝の中に視線を落とす。それは、あまりにも美しい



エメラルド色に輝く溝であった。建物全体が放つ悲壮さと比べ、その輝きは純粋すぎた――



心を奪われてしばし放心。やがて心が体に戻ってきた頃、静かに手を合わせ、この建物とトンネルを後にする。





狭いトンネルを抜け、島に戻る。さきほど左に折れたY字まで戻って、右へ。回天記念館を目指す。学校らしき
施設の裏手に作られた細い坂道を登ると、さらにきつい傾斜の坂道(階段)が現れる。振り返って見れば、校庭が
眼下に一望できる高さ。わずか 100m 程度と思われる短い坂道を登っただけで、この高度か。見れば、校庭から
この高さまで一気に上ってくるための、大人一人分の幅しかない狭いコンクリート製の階段があった。
これもまた、戦争遺構の1つ。乗組員が上り下りして体を鍛えた階段だそうだ。なんというハードな・・・

昔の人々の逞しさに感嘆しつつ、喘ぎながら急坂を上り、回天記念館のある平場へとたどり着く。平場は結構大きく
最奥を横一列に埋めるような位置に記念館が建てられている。記念館の海側の端の前には、実物大と思しき回天。
そして、坂を上りきった位置にある門柱と建物の間の長い通路の両脇には、戦没者の名前が刻まれた標石様の石が
ずらりと並び、建物に向かう見学者を待ち構えていた。・・・それは、あまりにも、あまりにも重過ぎる光景であった。
その通路をまっすぐ進むことに躊躇いを覚え、謝りながら小走りに迂回経路を通って、建物に向かう私。

建物の前でしばし逡巡してしまったが、意を決し、ひとけのない回天記念館の中に入る。記念館の中は予想以上に
綺麗で広い。中には、太平洋戦争の歴史と特別攻撃隊の歴史についての展示や、遺影・遺品の展示が行われていた。
鹿屋に行ったときもそうだったが、最も衝撃を受けるのが、遺影の展示だ。凛々しい表情を浮かべた若き烈士達の
写真1つ1つの下に、殉死したときの年齢が記されている。一番年上でも20代半ば、年下では 10代半ばにまで
その記述は広がっている。10代・・・わたしがその年齢のとき、一体何を想い、何を為していただろうか。

展示物をできるだけじっくりと網膜に焼き付けつつ、遅れてやってきた小煩いジジババ団(船で同行していた連中)に
追いつかれる直前に建物を出た私は、帰路こそ目前の通路を抜け、記念館を後にする。往路には重過ぎて通れなかったが
逆に、帰路では、この通路を必ず通らなければならないと、思うようになっていた。ありがとうございました・・・。
通路を抜けるとき、自然とこの言葉が口を衝いて出る。ありがとうございました、ありがとうございました・・・。



回天は、海の向こうで平和に賑わう徳山の町を真っ直ぐに見つめている。彼は何を想っているだろうか。



階段を降り、帰りの船が出航する時をしばし待つ。待合所に向かう途中の道端で、暖かい場所に陣取っている
ネコを何匹もみかける。先ほどまでは、まるで姿を見なかったのだが。ネコはどいつもこいつも暢気なもので、
人が近づいてもチラリと視線をくれるばかりで、何をする様子も見せない。逃げも警戒もしないが、媚びもしない。
漁村に住まうネコ達はどこまでもユルく、そして優しかった。何枚か写真を撮らせてもらう。いい顔だな。



しばし待つと、高速艇「回天」がやってきたので、本土に戻るために乗り込む。少し遅れて船に向かったので、
船内には既に、小煩いジジババ団が適当に場所を陣取っていた。3人掛けの座席に、寝そべるように踏ん反り返って
片腕を背凭れに掛けた初老の男性(たぶん 60歳台前半ぐらいかな)。前の座席に座った同い年ぐらいの女性と、
大きな濁声でぎゃあぎゃあと元気に喋っている。それは別に(見た目がだらしなくてみっともないだけで)いいのだが
許せないのは、その会話の内容だ。曰く、トンネル(最初に書いた、発射試験場へのトンネル)が気持ち悪かっただの
オバケが出そうだだの。挙句、ケータイを使ってトンネルの中で撮影した写真に幽霊が映っているとかどうとか
言い出し、バカ騒ぎ状態。そういえばこの連中、回天記念館の中でも、書くに堪えないことを言っていた・・・
正直、相当ムカッと来た。ここは、そういう場所じゃないだろう。USJ とか TDL とかじゃないんだよ・・・



なんともいえないガッカリ感を覚えつつも、ともかく好天の大津島を訪れることができたのはラッキーだったと思い直し
高速艇上での 30分を平穏な気持ちで過ごす。往路は居眠りしてもまだ到着しないほどに遠かった距離だが、復路は近く
感じた。実際そのとおりで、艦艇の性能差による所要時間差もあれど、航路の違いも大きい。帰路は一直線だからね。

徳山港に辿りついたのは、予定通りの 16時前。さて、あとは、本日の宿泊場所となる川棚温泉を目指すだけだ。
カプチーノの元に戻り、荷物を詰め込んでナビを起動。目的地を設定し、所要時間を計算させてみる。残距離は
80km 程度。まぁ下道なら2時間、高速なら1時間強ってところかな・・・などと考えつつ。だが、ナビが出した結果は、

高速道路をブッ飛ばして2時間。

・・・ハァ!?あり得ねぇ、それはあり得ねぇ・・・とも思ったが、実はそれほどあり得ない話でもない。途中で
夜食を調達したり、ガソリンを入れたりしないといかんからね・・・。宿に伝えていたチェックイン時刻は 18時。
おかしいなぁ、この旅行って時間的には相当余裕があったはずなんだけどなぁ・・・(汗)とにかく出発。

港の駐車場を出て、徳山駅を真正面に見る交差点を左折。道なりに北に向かい、山陽新幹線の高架を右肩に抱くY字路を左折。
徳山の工業地帯の北端に沿って進路を西に転針。いくつかの橋を渡って西に向かい、再び市街地に突入してしばらくすると
山陽本線を右手に沿わせ続けた案内ルートは、なにごとも無い交差点で右折を指示。山陽本線を大きな踏切で超えて左折し
また少し西に行ったところで右折。ジグザグに曲がって徳山市街地の混雑を巧みに逃げたルートは、R2 へと出る。
夕方となり、少し混雑し始めた R2 を西へと逃げると、まもなく山陽道の徳山西 I.C. が現れる。ようやく脱出。

ここまでで、予想以上に時間を消費してしまっていた。少しばかり気が焦る。この先の経路をざっと確認するが、おそらく
高速道路を降りてから温泉までの間にコンビニが存在する確率は、きわめて低いと言わざるを得ない・・・とりあえず
現れた佐波川 S.A. にて一旦停止。夜食となる菓子等をざざざっと買い込んで、またすぐに西に向かって出発する。



しばらく海岸沿いの都市の脇を走り続けた山陽道は、佐波川 S.A. を過ぎたあたりで急速に向きを変え、山に向かう。
山口 J.C.T. を何事も無く通り過ぎると、道路はしばし、山間をくねりながら抜ける線形となる。見える景色も雰囲気も
どことなく、北陸道の福井〜石川間を連想させるものがある。日本の景色は、どこまで行ってもやっぱり日本の景色。

美祢 I.C. を通過。美祢といえば MINE サーキット(今はマツダ試験場)だな・・・なんで「MINE サーキット」という
名前なのか知らなかったのだが、高速道路の案内看板で、「美祢」の下に「MINE」と書いてあるのを見て全て理解した。
そっ、そうか!「美祢」って「みね」って呼ぶから「MINE」なんだ・・・英単語の mine と関係あるのかと思ってたよ;

ずんずん進むと、やがてまた山陽道が合流してくる。あれ、俺は確か山陽道から合流してきたはず・・・ポルナレフの
AA が頭のなかをぐるぐる回ってどうにかなりそうだったが、後で調べればいいやと考え直し、小月 I.C. で高速を降りる。
あとは、ナビの指示通り R491 をトレースし、途中で県道 35号に折れ、川棚温泉を目指せばいいだけのはずだ。

そう考えつつ、燃料計に目を落とす。かなり E に近づいていた。明日一日を賄うのは無理っぽいなー、というぐらい。
できれば、宿に着く前に燃料を入れておきたい。どこかに GS は無いだろうか。ナビの周辺検索でざっと確認してみるが、
あまり軒数がない。あとから考えれば、少し南に下って小月の市街地に入れば何軒でも見つかりそうだったものだが
地形を俯瞰するときにもっとも役に立つツーリングマップルを買っていなかったので、現地では如何ともしがたく。
多少ムキになって、126円/L(ハイオク)というプライスタグを下げていた R491 沿いの GS をパスし、菊川町の
市街地内にある小さな GS(出光)を攻めてみるが、そちらにはプライスタグもない。負けた・・・全パスだな。


菊川町をスルリと抜け、西に立つ山へ向かう。この山の峰の向こう側に、川棚温泉があるはずだ。そして、その付近には
きっと・・・ナビの地図をグリグリとスクロールしてみると、川棚温泉を降りた海側の国道にある駅の近くにも GS がある模様。
どうせ観光地プライスだろうし、どこで入れても同じか・・・鄙びた小さい駅と道路と GS を想像しつつ、そちらへ向かう。

県道 35号でえいやっと山を越え、対面通行のくねくね道を下って、川棚グランドホテル前を通過。わりと狭い道路沿いに
すげえ立派なホテルが建ってる。霧島温泉郷へと霧島側から下っていったときの雰囲気に似ている。その印象は、更に下って
県道 40号と合流する地点に至ったとき、更に深まる。なんというか、デジャヴューっての?そういうものを感じた。

さておき、静かな地方都市の外れを抜けているといった風情の県道 40号を下り、R191 に突き当たる。そのすぐ向こう側に
JR 山陰本線の川棚温泉駅が見えているわけだが・・・ごめん。開けた地形の中に作られた、近代的で清潔な雰囲気の駅舎が
交通量の多い R191 の向こう側に立っていた。そして、そのすぐ南側にある GS もまた、大きくて立派なものだった。
完全に「地方都市の温泉」というイメージを過度に矮小化していた。若い女性にもウケがよさそうな雰囲気。

カプの腹を満タンにしたら、先ほど通過した川棚温泉に向けて出発。山に向かって上っていく県道 40号は、なぜかとても
見晴らしがいい。どこかに似た・・・そうさな、石榑峠に向かうときの滋賀県側の町の終端部に少し似たような景色、かな。
またもデジャヴューを感じつつ、県道 40号の上り直線を突き当たる。その先にもまだ道は通じており、その上に「川棚温泉」という
アーチ状の看板が立てられている。この先一体が、川棚温泉ってわけだな。ってことは、私が泊まる宿は、少し外れた場所に?

元来た道を少し戻ると、まもなく目の前に川棚グランドホテルが現れた。本日の宿。駐車場にカプを押し込み、エンジンを停止。
結局、本日走った距離は 700kmちょいってところ。いろんな意味で、ちょうど限界だった。もう、俺もおじさんだね・・・
徳山港からの所要時間は、ほぼ2時間。たしかに、高速道路をブッ飛ばしてそんなもんだった。恐るべし nav-u。


部屋で使う荷物一式を抱え、カプを降りてホテルへ。平日のシーズン外ということで、客の姿はほとんどないように見える。
ホテルのロビーは、ネットで見たとおりの豪華さ。おもわず怯んでしまうぐらいだ。だが、腰が引けるなんて客失格だ。
なるべく堂々と(弱い)フロントに向かい、チェックイン。その際、館内の案内図、なんてものを渡されるわけなのだが
これがまたすごい。普通なら建物内の案内図だけなのに、なぜか庭までしっかり書いてある。しかも、庭がかなりデカい。
デカい庭の中に、いろんな施設が散在している(貸切施設なんかも含めて)。バンガローのある大きな旅行村っぽい感じ?
ロビーの立派さよりも何よりも、設備の充実さというか、奥深さに驚嘆する、曰く「旅館は劇場」だそうだが、
その謳い文句は全くウソではないようだ。実際、あとでその意味を実感することになる。

チェックインを終え、ホテルのボーイさんに荷物を持っていただきながら移動した客室は、見晴らしの良い海側。
また、部屋自体も(値段が値段だけに)立派なものだった。正直、一人で泊まるには立派すぎてどうしようという世界。



「おひとりさま」なんて言葉が流行っていたが、泊まる部屋が立派であればあるほど、詫びしさもまた強まってくる。
今頃、職場の仲間はどうしているだろうか、自宅の両親はどうしているだろうか。やがて訪れた仲居さんと話をしていると
そういう申し訳ないような思いが更に募ってくる。・・・いかん。これではまったく、気分転換にも気晴らしにもならん(汗)

荷物を整理したり、今日の分の日記のタネのメモをしたりしているうち、お腹がすいてきた。時計を見ても、もう夜だ。
いい頃合かな・・・。館内案内図を確認後、財布を片手に、食事処へ向かう。食事処は、2F から奥の扉を出て・・・



・・・なんか、映画のセットみたいな感じで路地が作られ、そこに食事処 etc. が点在している。道路側を見れば
ちょっとした階段で降りた先に、これまた小洒落た雰囲気のバーが作られている。まるで、独立した店のように。



旅館は劇場?ああ、まさにそのとおり。とてつもなく非日常な雰囲気を全力で味わえるように作られている。

雰囲気を味わいつつ、食事処へ。いくつかのメニューがあったが、今回の旅行の目的の1つは、川棚温泉で
瓦そばを食べる、ということにある。迷わず瓦そば・・・の、どれがいいんだろう(汗)瓦そばといっても
単一のメニューではなく、トッピングによっていくつかの種類がある。肉を使ったものがスタンダートらしいが
シェフの本日のオススメは、サーモン&レモンになっていた。サーモンか、いいね。魚は大好きだよ。迷わず注文。

落ち着いた店内で物珍しげにメニューを眺めながらしばし待つと、やがて、ジュージューと音を立てる瓦そばが到着。
・・・って?え?ジュー・・・ジュー・・・だと?頭の中で「そば」と「ジュージュー」がどうしても繋がらず、
?マークで埋め尽くされる。目の前には、カンカンに熱くなった瓦の上に、緑色をした蕎麦とトッピングが
別に不思議なことでもなんでもないかのように、自然に載せられて焼かれている光景が広がっていた。

いかにも上手そうな匂いを立てながら目の前に陣取るそれに一瞬怯んだが、ええい、中華そばだって焼いて
焼きそばになったんだ、日本そばだって!と思い直し、箸を掴んでまずは一口食ってみる。暖められた
出汁の中に真っ赤な薬味を全部ぶち込み、その中に焼けた茶そばを浸して、ずずずっ・・・と・・・

おお。美味い!

焼けた細身の茶そばのカリカリした食感と、辛めに調節された出汁の調和。ありそうでなかったこの食感に、
食欲が引き出される。さらに、薄身に切られたサーモンを瓦に押し付けて焼いてから食べると、これまた
カリカリと爽やかで、かつ蕎麦にはないコクを伴った食感が口の中に広がる。あえて、ご飯がついてない
というのが良い。ご飯のもちもちした食感とは相容れない。菓子を食べるが如く、爽やかに食うべしだ。

結局、最後までまったく飽きることなく、ウマイコレウマイコレ状態が継続。この瓦そばはいいものだ。
とてつもなく満足したので、精算の際、レジ横に置いてあった持ち帰り用のパックを1つ買って帰る。


食事処を出て部屋に戻り、浴衣に着替える。目的地?聞くまでもなかろう。飯を食ったら、次は風呂だ!
案内図を見て場所を確認したら、部屋に帰ってきた経路をまた引き返し、食事処の奥のほうにある温泉受付へ。
温泉までの間に十数m の屋外区間があるが、2月末という冬真っ盛りの時期に、浴衣一枚で屋外に出るのは
かなり無謀だった。寒さが身を切る勢いで押し寄せてくる。ううっ、雪が降ってなくて、本当に良かった(汗)

受付にてタオルを借りたら、風呂へ向かう。風呂は受付とは別棟になっており、ここでもまた少し、外を歩く。
目の前には風呂棟があるわけだが、どことなく・・・美術館のような、洗練された見栄え。モダンアートを
眺めにいくような気分で風呂棟に入る。だが、立派な入り口から始まった通路はすぐに行き止まりとなり、
先が無くなる。は、はて!?道を間違えたのか、もしくは何かフラグを立て損ねたのか。少し焦るが、
よーく見れば、行き止まりになっている壁の横が引き戸になっていて、そこから奥へ入ることができる。
ああ、なんという 80年代アクション RPG 的な演出だろうか。新しい領域が始まる興奮を見事に演出。

壁一面に俳句のような文章が書かれた脱衣所でフルチンガーになったら、扉を開けて浴室へ。そこは、
思ったよりも奥行きが少ない、こぢんまりとした空間。少し早めに風呂に来たから、ほとんど人影がないが
宴会が終わったあとなんかに来たら、あっけなく芋洗い状態に苦しめられそうだ。いや、これも変だなぁ。

そう思いつつ、まずは内湯へ。泉質は、かなりさっぱりとした手触り。浸かり心地もかなりライト(?)。
だが、肌のスベスベ感がいきなり出てきたところからして、軽いアルカリ系なのかな・・・。泉質自体は
活きのいい火山を保有する九州や東北と比べると圧倒的に平凡だが、湯量は文句なしだし、宿の構造は
温泉そのものを提供するだけでなく、宿泊することを楽しませるようなものになっているようなので、
不満は特に感じられない。そう思いつつ内湯を出て、入り口付近にあった小部屋のベンチへと移動し
そこに座ろうとする・・・と、そこで気づく。小部屋の奥に、なにやら外に続く扉が存在している!?

ああ、なんというべきか。この 80年代(以下省略)。入り口から脱衣所から内湯に至るまで、デザインは
直線基調のモダンアート系っぽいそっけなさで統一しているのに、構造は実にアツい。アツ過ぎる。
躊躇い無くその扉から外に出ると・・・おお!なにやら、巨大な露天風呂が待っているデナイノ!
正直、この宿のデザイナーに言いたい。個人的には、この構造はすごく好き。発見が多くてワクワクする。
だが、だがしかし。自ら捜し求めない人には凄さが全然わかってもらえない、勿体無い構造だと思う。

誰もいない巨大な露天風呂にゆったりと浸かりつつ、ああそうか、夕飯と合わせて一泊 \12k も出せば
こんなにいい宿に泊まることができるんだね・・・という事実を理解する。これまで、旅行に出かけたときは
せいぜい \6k ぐらいまでの宿ばっかり選んで泊まっていたからなぁ。宿をケチると、勿体無いんだな・・・


たぶん、1時間弱ぐらいはそこに居ただろう。食事を終えたと思しき人たちが少しずつ増えてきたので、
適当なところで退散。しっかり温まった体には、2月の寒風もさほど堪えない。部屋に戻ったら、途中で買った
ビールをぷしっとあけ、ノート PC の電源を ON。明日以降の旅行に関連する情報でも集めようか、と思い
無線LAN を ON にして野良 AP を探すが、まったく捕まらず。・・・残念。ネット接続は、明日以降に持ち越し。


ごにょごにょやっているうち、時計の針は 22時を回る。なんだか猛烈に眠くなってきたよ、パトラッシュ・・・
部屋の電気を落とし、窓際にあるベッドに潜り込んでさっさと眠ることにした。天候は少しずつ悪化しているようで、
山側から吹き降ろしの風を受ける足元の窓が、叩き付けるような強い風を受けてガタン!ガタン!と不定期に鳴る。
明日は・・・小雨ぐらいで済んだらいいほう、ということにしておこう・・・花粉が少しでも落ちるかもしれないし・・・

ああ、それにしても今日は、耳がよく詰まる。山越えの区間で、何度も何度も耳が詰まって苦労した。花粉のせいで
鼻が詰まり気味だが、たぶんそのせいで耳まで詰まってしまうのだろう。まったく、鬱陶しいものだ・・・>花粉症


2/25

強い風のせいか、残念ながら今晩の眠りは浅い。何度も中途覚醒を繰り返しつつ、7時に起床する。
時間的にはいつもより良く眠っているはずだが、質が悪かったのか何なのか、かなり眠い気味だし、
疲労も残り気味。その証拠(?)として、全身の筋肉が軽くピクピクしているのが体感できる。そっか・・・
今日の行程こそは、時間的な余裕を作ろう。ってか、もともとそういう旅行のつもりだったはず・・・(汗)

ベッドから出て、カーテンを開ける。窓の外から差し込んでくる光は白く、空もまた白かった。窓ガラスには
びっしりと雨粒の跡がついている。眼下の駐車場を見れば、アスファルトの僅かな凹みにくまなく水溜り。
水溜りの表面は乱れていない。雨と風はすっかり収まったようだった。空の雲の分厚さを見れば、
この後にカラリと晴れることは期待できない・・・が、まぁ、雨が降りつづいているよりはマシか。


純和風で美味い朝飯をモソモソと食う。朝食はバイキング形式。宿泊していた人たちが次々とやってくる。
60過ぎのリタイヤ組夫婦が多いが、子連れの若夫婦も2組ほど居たりした。なかなか渋い旅行してるじゃんか。
自分の姿はこの場においてひどく浮いているわけだが、怪しまれない限りは大丈夫(?)ゆっくりと飯を食う。

飯を食い終わったら、部屋に戻って出発準備・・・のはずが、どうもいまいち調子が出てこないというか、
やる気が出てこないというか。ある程度まで荷物を片付けたら、あとは部屋にゴロリと転がって、9時過ぎまで
TV を眺めて過ごす。もー、なんだったら今日はこのままくたばっててもいいや、いやむしろそうしたい・・・
などと思ってしまったが、残念ながら連泊ではないので、まもなく引き払わなければならない。重い腰を上げ、
荷物を抱えてロビーへ移動し、チェックアウト。みやげ物をいくつか買い込んだら、良宿だったホテルを辞する。


入れ替わるように入り口に横付けに止まった救急車を横目に見ながら、雨に濡れて大量の水玉をくっつけたカプの元へ。
屋根の水を軽く落としてからトランクを空け、荷物を放り込めるだけ放り込みながら考える。どこから行こうか・・・
とりあえず、昨日の夕方、ホテルの仲居さんも「是非」言っていた”角島”から行ってみるか・・・たしか、国道を
30分ぐらい北に向かったら到着する・・・とか言ってたっけな。でも、けっこう距離あるぜ・・・本当に行けるのか?


ホテルの部屋の中からでは気づかないほどの軽い小雨がパラパラと降る中、ホテルの駐車場を出発。昨日通った道を
再び下って R191 へ降り、交差点を右折して北上する。本当にこのまま京都まで通じているのか不安になるほど細い
山陰本線の線路を左右に取り巻かせつつ、R191 は海沿いから内陸から、その存在場所を目まぐるしく変えながら
ぐんぐん北へ伸びる。前後には数台のクルマが居たが、主要市街地から遠い場所だけに、どのクルマも流れが速い。
信号もほとんどないこともあって、流れはほぼ 70km/h ぐらいに達している。そんな流れに乗っているだけで、
本当に、あっという間に角島付近まで到着してしまった。仲居さんの言葉に、間違いは無かった・・・

・・・さて。付近まで来たのはいいとして、あとはどこから角島に渡るのか、だな。そういえばさっき、
岸壁にそびえる岩壁の隙間から、海中に立派な橋が伸びているのが見えたなぁ。まるで、その先に原発でもあるかの
ような感じ。そう、美浜あたりの原発は、まさにこんな感じだったよなあ。超立派な橋が掛かっててさ・・・

過去を思い出した刹那の後、目の前に逆ト字交差点が現れる。ん、ここを左に曲がったら角島ってか。
さて、どんなところだろうね、なんて軽く考えながら、曲がった先の景色を見る・・・



ほあ!?

さきほどチラリと見えた、海の中を貫く巨大な橋。それが、いま私の目の前に伸びる。写真ではスケールが伝わらないが、
今ここにある陸地と、向こうに青く霞む島の間に広がる、大きな海。その海の上スレスレに、真っ直ぐの道が伸びている。
最近多い吊り橋と違い、橋の上には何の障害物もない。海面の上を道路が低く這っているその様は、他では見られない。
そして、その長さは 1.8km・・・とにかく、規模がデカい。これは、予想外の奇観じゃないか!?思わず小躍り。


ニヤニヤしながら橋を渡ったところに、お誂え向きにパーキングが用意されていた。カプを押し込んで一旦停止。
少し高台になった見晴台があったので、カメラを片手に駆け上がり、今通ってきた橋をあらためて見直す。



名前は「角島大橋」。そのまんまだ。だがしかし、その名前に恥じぬ大きさと立派さを備える。だが何故、こんな
本州最果ての地に、これほどまでに立派な橋が・・・何か、理由があってのことだろうか。帰ったら調べよう。


さて、橋はよく味わった。で、ずっと気になっていたのは「毘沙の鼻」だ。本州最西端になるというその地点は、
山口県の地図を見る限り、この島のどこかにありそうに思える。しかし、駐車場にあった島内案内図を見る限り
この島の中には、どうもそんな地点がありそうな気もしない。うーん、「毘沙の鼻」って、一体ドコにあるんだ?

何故今更そんなことを考え始めたかというと、今回の旅行はあんまり下調べを細かくしていなかったからだ。
観光地について細かく調べ始めたりすると、絶対にウチみたいな「行ってきましたレポート」ページを踏んでしまって
行く前から「全部わかっちゃったYO...」となってガッカリすること相違ない。やっぱ、旅行ってサプライズが大事だから
行く前には、細かいことはなるべく知らないほうがいいのだ。そんなポリシーで準備をしていたのだが、「毘沙の鼻」は

どこにあるのかすら、調べてなかった。

まー、九州最南端も本州最北端も勢いだけで行けちゃったわけだし、今回も大丈夫でしょ。なんてノリだったのだが、
正直甘かった。九州最南端は佐多岬、本州最北端は大間町がそれぞれ尖がった位置に存在しているから、一目でわかる。
だが、山口県の西端って、結構幅が広い。地図をみるだけでは、最西端となりそうな場所は何個も存在していたのだ。


困った。ナビの地図をスクロールさせてみたが、道路が通じている場所に「毘沙の鼻」なんてポイントは全く見つからない。
あ、あれ、おかしいな、どうしちゃったのかな・・・次第に焦りも出てくる。日の出ている時間は短い。やむなく、携帯で
「毘沙の鼻」というキーワードを検索してみる。すぐに、いくつかの最西端到達レポートが見つかる。よし。だが、
どれを見ても、どこからどう行ったのか、具体的な記述がない。・・・なぜだ?さんざん調べたところ、なんとか
彦島(関門海峡の最果て)から R191 を北上し、吉見を過ぎて県道に・・・という記述を見つけることができた。
その通りに地図をスクロールさせ、散々探してみる。やがて、思いも寄らぬポイントに、「毘沙の鼻」を見つけた。

・・・昨日泊まった川棚温泉の、すぐ南じゃん・・・orz


5秒ほど放心。だが、ここまでせいぜい 30分級の時間しか掛からなかったことは、本当に不幸中の幸いだった。まだ引き返せる。
こうなったらもう角島には用なし・・・なんだけど、角島だって、自動車で来れる地点としては最西端に属するわけだし。
せっかく来たところなんだから、せめて島の端っこには行っておきたい。そう考えて島内地図を眺める。島にはいくつかの
岬がある。最西端にある夢ヶ崎には灯台があるらしいが、どうも観光地っぽい。それはいまいちつまらなそうだ・・・
別の岬を見る。えーと、牧崎・・・あ、こっちのほうは、なんとなくワイルドっぽい感じだ。いいね、ここにしよう。

エンジンを始動し、駐車場を離れてメインストリートに戻る。しばらく走ったところで左折し、島本来の道へと入る。
橋から伸びるメインストリートはすごく立派な道路だが、一旦外れてしまえば、実にせせっこましい(失礼)道路が続く。
この島本来の道路なんだろうな。島肌の起伏にぴったり合わせて細かく上下しながら続く道路に、むしろ安心を覚える。

ナビの指示に従い、奥地を目指す。やがて道路は集落を外れ、岬の無人地帯に近づく。深く茂る木の間を続く細い道を
走り、途中においてあった工事信号(道路が細すぎて離合できないため、置いてあるようだ)を超えて、更に奥地へ。
どうやって道路が終わっているのか想像もつかなくなった頃、いきなり林が切れて駐車場が現れ、道路はぷつんと終わる。

石で舗装された駐車場は、海を見下ろす丘の頂点付近にある。つまり、その先は、枝を張る木々が生存できない領域・・・



風走る、海辺の草原・・・

クルマから降りたとたん、猛烈な海風に体を押し戻される。鉄の鎧を下ろした人間など脆いものよ。あまりの強い風に
一瞬怯むが、しかし延々と続くこの歩道を見て、今更「戻る」なんていう選択肢は考えられないッ!!荒れ狂う自然を前に
自然とアドレナリン濃度が高まり、たむはバオー・アームド・フェノメノンを発現させるッ!!ウォォォォーム!!

すっかり錯乱した私は、何故か目の前から伸びる歩道を避け、駐車場の隅から草の上に伸びる細い踏み跡へと立ち入る。
足の裏にざっくざくと伝わってくる、やわらかい土の踏み心地・・・フムゥゥン・・・これだ・・・きもちいい・・・人は歩行するいきもの・・・

踏み跡は、幅を狭めながらも明確に、荒れる波打ち際へと続く。セイレーンに魅せられた船乗りの如く、このまま真っ直ぐ
海へと突っ込んで還らぬ人となるのも時間の問題のような心地であったが、老いた亀の集団のような岩場に遮られる。



岩場の先のほうには、こちらへフラフラと戻ってくるような小さな人影が1つ。三途の川の渡し人ではなく、どうやら釣り人のようだ。
・・・こんなド平日の朝から磯釣りかヨ?昨日の大津島の魚雷発射試験場付近での釣り人といい、水溜りあれば釣り人あり、って感じだな。

ともかく、普通に進める限界まで進んだところで一旦立ち止まり、ゴウゴウと吹き付けてくる強い風に向かって立ち尽くす。
2月下旬という時期の割に、耳を裂くほどに冷たい風でもない。むしろ、心地よい涼しさとも言える。時折、海のほうから飛んでくる
小さな飛沫。干からび切っていた心身の、細かいひび割れに染み入ってくる。ああ・・・なんと、心地の良い風だろうか・・・

心が休まったら、くるりと身を翻し、今降りてきた草原の丘を登る。改めてみれば、草原の丘にも所々、緑色の木が生えている。
ただし、その高さは地を這うほどに低く、いずれも地面に強く撫で付けられたように、斜面に沿った形状へと変化している。
実際、この強い海風はずっと吹き続けているのだろう。その中でかろうじて根を張った木は、生きるために形状を妥協した。
そんな厳しい自然の中では、人工物も存在できない。頂上付近にある吹き曝しのトイレ以外、見える人工建造物は無い。

駐車場まで引き返したら、さきほど見つけた幅広の歩道を進む。歩道は見晴らしの良い尾根筋付近を辿り、やがて終着する。



牧崎・・・その先には海しかない土地・・・

相変わらず、強い風が頬を叩き続ける。周りを見ると、綺麗に整備された(ようにしか見えない)草地の縁は全て岩場で終端し、
その先で、海からやってきた波が白く砕け続けている。2時間サスペンスドラマのエンディングテーマが脳内で流れ出す。
ルネッサを追い詰めるティアナとギンガ。ルネッサはヴィヴィオを開放し、諦めたような微笑を浮かべて全てを語り出す――

――いいね。やっぱ、いいねサスペンスドラマは。年を食うとああいうのが好きになるんだよマジで。長距離ドライブには演歌、
21時からの TV はサスペンスドラマ。そして、夏の同人誌の映像イメージが少しずつ沸きあがる。こういう時間ってすごく大事だよな。


放電しきっていた心が少し充電されたので、名残惜しいこの景色を腹八分目で抑え、駐車場へと戻る。まだ、回るべき場所が沢山ある。



余談ながら、牧崎の果てには、街灯を戴いたポールが1本だけ立っていた。名前が分からないので、とりあえずポール牧崎と名づける。
ポール牧崎の存在はきわめて不思議だ。駐車場からここに至るまでの間、街灯はたった1つも存在しない。風の強さと見通しの悪さを
考えると、日が暮れてしまえばとても歩き回れる場所ではない。そんな場所の最果てに存在するポール牧崎。いったいどうしろというのか。


風に吹き飛ばされそうになりつつ駐車場に戻り、カプに滑り込む。エンジンを始動したら、元来た道を戻って角島大橋を抜け、R191 へ。
進路を南に取り、ぎゅんぎゅんと走る。毘沙の鼻への到着予想時刻は昼過ぎになっていたが、走っているうちにどんどん短縮される。
ずんずん先へ進み、あっという間に川棚温泉前を通過。ナビのルート案内は、まだ R191 南下を示している。その通りにルートを辿る。
R191 は市街地を外れ、ちょっとした森の合間を走る郊外の道路となる。どこまで南下するのやら・・・と心配になりつつ、ちょうど
梅ヶ峠駅(うめがとうえき。"とうげ" ではなく "とう" が正解)を過ぎて山陰本線の古めかしい高架をくぐり抜けたところで
ナビは目の前のト字路を右折するルートを指示。ん・・・え?どこにも「本州最西端」とかいう案内が無いんですが・・・

そこはあまりにも普通すぎる分岐点だった。そうと知らなければ、本州最西端ポイントがあるだなんて気づかないぐらい。質素さに
驚きつつ、海の手前に立ちはだかる小山を超える道路をくねりと抜け、T字路へ。ここでようやく、T字路を突き当たったところの
ガードレールに、さりげなく本州最西端の地への案内看板が掛けられていたのを見つける。いや、どんだけ控えめですかアナタ?
ごめん。これ、もし情報もなく、自分ひとりで探しまわっていたら絶対にたどり着けなかった。今回は、そういう自信ある。
(補足:下関方面から北上してきた場合、ちゃんとわかるように看板が立っているらしい。本来は下関から行くべき場所なんだね)

案内に従ってT字路を右折し、次に現れた十字路を直進。道路はまもなく、きつい上り傾斜の細い山道となる。この傾斜からして、
毘沙の鼻は相当高い場所にありそうだ・・・ややあって現れたのは、環境センターという謎の施設。ナニがどう環境なのやら?
いぶかしく思いつつ、環境センター沿いの道路を更に登っていくと、やがて待ち焦がれていたものが現れた・・・



それなりに整備されているようで、綺麗な門の向こう側に、そこそこの台数が止められる駐車場が用意されていた。
とりあえず駐車場に入り込み、適当な場所にクルマを止めて降車。さて、どこが最西端・・・どこが毘沙の鼻か・・・と思いつつ
ちょっと内側に入った場所にあるこの駐車場の中を調べてみると、看板が見つかった。駐車場の奥から遊歩道が伸びているのだが、
ここを 200m ほど入ったところが「毘沙の鼻」なんだそうだ。ほほう。なんという凝ったステージなのか。脳内 BGM が切り替わる。

荷物をまとめ、遊歩道を進む。朝方はしっとり曇っていた天候も、数時間が過ぎた今になって、ようやく雲の切れ目が出始める。
なにか、祝福されているかのようだ。先に向かう足取りも軽くなる。さて、最西端ってどんなトコだろうな。駐車場の入り口に
ゲートがあるぐらいだから、奥に事務所でもあるのかしらん・・・などと楽天的に考えていたが、そんなことがあるはずもない。



木造のテラスと看板、そして最西端を表す灯台のようなオブジェが待ち構えているだけだった。テラスに乗って風を浴び、先を見る。
揃って白く煙った空と海の間に、薄黒い島が見える。蓋井島という、今から 1300年前の長門守が「沖つ借島」といった島だそうだ。
1300年前にもおそらく、まったく同じような景色を誰かが見ていた。その事実が、私の心を熱くさせる。人生はたかだか 80年、
だが、文化は 1000年以上の長い時空を超えて、多くの人の心や生き様に伝わるのだ。ヤック、デカルチャー・・・!!


それにしても山口県はいいところだ、これほどまでに、海と風に恵まれているとはね。そりゃあ、大志を抱く人材も現れるはずだ。
しばしボンヤリして、またも魂を充電。これで、北端と西端、そして南端は制覇した(南端は少し怪しいが)。残るは、東端だ!



えーと、東端は「トドヶ崎」と・・・う、岩手県かよ・・・前回の東北紀行(06年)で完全にパスしてたなぁ・・・
つまり、もう一度東北に行かないといけない(しかも、このためだけに)ってこと!?うー、なんか、ネタ考えよう・・・


海から吹いてきた強い風と、空から射してきた日の光を有難く浴びていると、すごい勢いで時間が流れていく。ふと我に返って
時計を見る。いかん、もう昼じゃね?ざっと脳内で計算するが、このままだと山口市内を散策する時間が取れないような気がする。
急いで駐車場へと戻り、カプのエンジンを始動。次は・・・秋芳洞か。のんびり走っている余裕はない。最短距離でやらかすぜ!

NV-U1 のルート設定条件を「距離優先」に切り替え、秋芳洞を目指す。nav-u ユーザならばわかると思うが、距離優先ルート検索は
超絶に危険。道の状況なんのその、とにかく距離的に 1m でも短いルートを叩き出してくれるわけだが、得てしてその指示経路を
忠実に辿るには、無人戦闘機 X-9 "ゴースト" クラスの機動性能(?)が要求される。今回もまた、すごいルートを引いたようだ。
行け、イサム!化け物は俺が始末する!(声:石塚運昇)リミッターを解除した YF-21 ガルド機のように、速度を上げて追跡開始。

まずは来た道を辿って R191 へ戻り、北上。川棚温泉を通過し、白崎牧場を越えて菊川町へと出る。ここまでは、まぁ順当だ。
今になってから冷静に考えれば、小月 I.C. から高速に乗って美祢 I.C. まで戻り、そこから少し国道を走ればすぐに秋芳洞だったが
ゼントラーディーの血による発作的な攻撃衝動に支配されていた私は、高速道路を使うなどという逃げ道は、選択肢に浮かばなかった。

菊川町の道の駅でトイレ休憩&ネット接続環境有無チェック。トイレはもちろん存在するが、無線LAN は存在せず。ネットは遠し。
情報端末の出番は、長門市まではおあずけかな・・・と思いつつ、トイレだけ済ませて出発。道の駅を出たところの道を少し南下し
住宅地の合間の道路へ突っ込む。意図していなかったことだが、このルートは昨日夕方に GS を探したときと全く同一だった。
まもなく、昨日夕方に見かけた、値段看板のない GS を見かける。お?無限ループ?一瞬。この町の中に永遠に捕らわれてしまった
のではないかという幻想を感じる。どれだけ移動しても友引町から出られなかったメガネやカクガリやパーマやチビのように。

だが、ナビはちゃんと次の脱出ルートを用意してくれていた。GS のあった角を北に曲がって少し走ったところにある、
まさに "ト" 字路。ここで市街地を離れ、ナナメ右下に伸びる細い道へと入れと指示がある。これが本当に、民家の軒先を
抜けるような細っこい道。まぁ、田舎ではよくあること。こういうところから広域農道に抜けられたりするワケなのだよ。
そういう安心感というか期待感なんかを持ってクネクネと先へと進むと、やはり視界が開け、道路は川沿いの平地を走る
中央線ありのまともなものへと移り変わる。ははっ、やっぱりそうだ。nav-u、なかなかやるじゃなーイ?

だが、甘かった。nav-u がそんなにまともなルートを案内するはずがない。少し南下したところで、山側の畑の間をまっすぐ上る
狭い農道のようなルートを指示。む?見ると、たしかにここで山に向かうのが正しい県道ルートのようだ。何の疑問も抱かず
ついうっかり左折して道を登り始めてしまうが、ほんの 100〜200m ほども進んだところで、いきなり超狭隘化。片側に谷、
もう片側に崖、そして頭上に重苦しい木々の枝を抱くこの道路は、あからさまに林道であった。まぁ、このぐらいの鬱蒼さや
狭さぐらい(たぶん、広いところで 1.8m 幅ぐらい?少なくともすれ違いは無理。狭いところだと本当に、旧規格軽でギリギリ)
であれば、京都の北部にいけば幾らでも出会えるし、実際何度もこいつ(カプ)と一緒に通り抜けてきたこともあるから、
それ自体は今更どうって言うことは無かった。だが、この道路は、そんな私を恐怖させ、後悔させるモノを用意してきた。

ほどんどの区間の路面が鋭い落石で埋まり、ガレまくっていた。

落石の直径は、おそらく 7〜8cm ぐらいだろうか。わだちとなる部分だけは除石(?)されていたが、その外側と腹下になる部分に
タイヤはおろかフロアだって裂かれてしまいそうなほど鋭い破断面を持った石が、隙間無く転がっていた。ここで思い出す。
そういえば、このクソ狭い区間の入り口に、「道路補修中」みたいな看板が立てられていたが、そういうことだったのか・・・
おそらく、雨か台風か雪かの影響で崖崩れが起き、そのときに路面が砕石で埋まったのだろう。とりあえず、林道としての
通行に差し支えない程度まで路面を復旧して、あとはまぁそのうち・・・って状況にあるのではないかと想像。

つまりそういうことだから、軽トラは通れますぜ、という感じの路面どまりの回復状況。とてもじゃないが、腹下ぎりぎり 9cm の
カプチーノのようなクルマが安心して通れるような状況じゃない。ギアはほとんど1速固定。少しでも大きな石が見えてきたら
最徐行で腹の下を通し、ぶつかるなと念じながらやり過ごす。正直、いつ腹の下で「ガキッ」という音が聞こえてきても
おかしくない状況がずっと続き、かなり神経を消耗する。ブラインドカーブを抜けるたび、超えられないような石が出てきたり
路面に大きな段差が出てきたりしやしないか、それだけがずっと気になる走行。はっきり言って、生きた心地はしなかった。

ああもう二度とこんな道は通りません。通りませんから、今回だけは最後まで安全に通してお願い後生だから八百万の神様。

肝を冷やしっぱなしにしながらも、菊川町下保木から幾重にも続く細かいカーブを抜け続け、頂を超えたところでようやく
ガレガレの落石は路面から姿を消す。あ、ああ、助かったんだ・・・安心感で、腰が抜けそうになる。菊川町道市の平坦な地形に
現れた1つ目の分岐に到着。右に曲がって南下するのは確実な脱出ルートだが、道市あたりで道路の両側の平坦地が広がり
田畑が見え始めたところで、この先の道路をまっすぐ行っても安全だろうと判断。たぶん、これで頂点は突破したはず。
いかに山岳道を読む力が衰えてきているとはいえ、昔取った杵柄の「勘」は鈍っていなかった。結局、このあとに続く
次の県道までの区間は、多少狭いところはあったものの、路面の状況に大きな問題はなかった。路面に浮く砂礫に
気を払いつつガシガシと進む。あと 300m も走れば、県道 85号に出られる。その刹那だった。唐突に、右後ろ付近から

バキィーーーーン!

と、おもわず振り返ってしまいそうなほどの巨大な衝撃音が聞こえた。!?ナニ!?ナニ!?すぐにブレーキを踏んで停車し
クルマを降りて点検。だが、ここまで来た路面を見ても、右後ろのセクションを見ても、何かが外れたりした跡は無い。

しばらく考え込む。ありうるとしたら、昨年6月に溶接補強してもらったマフラーハンガー付近の鉄板がまたイカレたか・・・
いや、一番ありそうなのは、さっきのガレ場でタイヤの溝に噛んだ石が、ここに至って速度を上げたために溝から飛び、
ホイールハウスの中に当たって大きな音を立てたか・・・快調にアイドリングを続けながら停車しているカプを見ても、
それ以上に大きな問題が起きたとは考えづらい。まぁ、もし前者であったら単にウルサくなるだけだし、後者だったら完全無害。
パンクさえしていなければ大丈夫だから、少しゆっくり走りながら様子を見ればいいや。そう考え、再出発することにした。
ただし、不安材料はあるので、ここから先は今のような山岳路をなるべく避け、フラットに近い国道/県道を選ぶことにする。

この時の "音" は、後で遭遇する衝撃の事実の前駆症状だったのか。
それとも、私を "不幸中の幸い" に導く福音だったのか。


県道 85号に出たあとのルートは、当初は MINE サーキット前を抜けたあと山越えをして美祢に出る予定だったが、前述の理由で
急遽変更。県道 85号を南下して県道 33号に合流し、厚狭川沿いを抜けて美祢に出ることにした。この道路は交通量も少なく
快適で、クルマの調子を確認するのにちょうどいい状況を作り出していた。加減速を繰り返してみる。だが、あの衝撃音は
再現しないし、いろいろ想定されるトラブルから発生しうる現象も一切起きない。やっぱり、溝間の石のせいだったかな。

そんなことを考えているうち、美祢市に到着。思ったよりも寂れた(失礼)感じ。どことなく廃墟っぽさすら感じさせる
町の雰囲気に心を奪われているうち、うっかり宇部興産道路を通り過ぎ、R435 を経由して秋芳洞まで到着してしまった。
(これまた今にして思えば、なぜ日本最長の私道・宇部興産道路をじっくり観察してこなかったのだろうと悔しくなることしきり)


秋芳洞は立派な観光地のようだが、かなり近づくまで、観光地らしい雰囲気はない。随徳交差点を折れて公営の駐車場までの間、
私が走行していることをどこで見つけたのか、道沿いに並ぶ土産物屋らしき建物から客引きのおばちゃんが現れて、駐車場に向かって
全身で手招き。永平寺でもこんなを景色見たことがあるなぁ。個人的には客引きな人は苦手なので、ガン無視で通過し、公営駐車場へ。

公営駐車場は、まさに台地的構造を持つと思しき秋吉台が切れて平地へと落ちた縁にあるようで、すぐ後ろに山体が控える
窄まりの地にあった。とりあえずカプを押し込み、出口付近にある小屋に向かう。平日昼間だというのに、管理人らしい
陽気なおっちゃんが常駐している。駐車料金を支払うと、700m ほど先にあるらしい秋芳洞への行き方を案内される。
非常にうっとうしい(ある意味当然な)ことに、土産物屋街の間の通路を延々と数百m も歩かねばならないようだ。

だが、その懸念はいささか過剰ではあった。県道を少し歩いて降りた先にあった土産物屋街は、廃墟も同然ともいえる状態。
昭和 50年代、よくて 60年代ぐらいで進化を止めてしまったかのように見えるこの町並みは、経済の車輪が回らなくなって
久しいようで、数軒の土産物屋を除いて店じまい状態となっており、活気は全く無かった。残った数軒の土産物屋にしても、
最近になって建てられたような新しい店にはそれなりに観光客の人影もあったものの、古来から存在するような店については
店内の照明もなく、薄暗い闇に支配された空間を覗いてみれば、そこには往来する人影に興味もないように座り仕事をしている
店番のおばちゃんが居るだけだった。ひとごとながら心配になってしまう。まずは、店先で色褪せて朽ち掛けている看板の
苔と水垢を綺麗に落とすところからやってみてはどうだろうか。やっぱり、第一印象って大事なんだよ。商売するなら。

そんな居た堪れない様子に支配されている通路をなんとか通り抜けると、山にぶちあたるところで入場券売り場とゲートが
作られていた。まずは入場券を買う。\1.2k。結構高いけど、維持管理が結構大変そうだから、このぐらいは已む無しか。

ゲートを抜けると、奥から流れてきた川沿いに、秋芳洞へと訪問者を誘うセメント張りの歩道が続いている。林を抜ける道は
自然歩道のような雰囲気もある。なんとも風流(?)な光景に安らぎを覚えつつ先へ進む。ふと、横を流れる川を見ると、
源流に近いはずなのに、なんとも白く濁っていることに気づく。泥の色じゃない。ういろうのような、透き通った白色だ。
なんでこんなに・・・それだけの石灰質が溶け込んでいるということか。この小川の源流は、つまり、秋芳洞ってこった。



歩道をしばらく辿っていくと、道はカクンと折れ曲がり、温泉旅館で増設された離れに行くための通路っぽいものが現れる。

フム?どうやら、歩道はいよいよ終わり、秋芳洞が始まるようだ。前を見ると、私の横に付き従ってきた川が山で終端。
その先にある岩壁には、不透明な滝壺に轟々と音を立てて水を供給している岩の割れ目が存在していた。これか・・・



ゴツゴツした岩場の奥は漆黒の闇で、見た目はいかにも怖ろしい。少し覚悟を決めて(トンネル恐怖症も少しは顔を出す)
通路を辿り、闇の中に身を投じる。えいやっ。通路は苔むした岩壁の間を狭苦しく通り抜け、私を驚愕の世界に放り込む。

あまり地下の世界に縁の無かった私(普通の人は皆そうか(汗))だが、それでも岩手県の龍泉洞を訪れたことはあるので、
鍾乳洞がどんなものかということについての、いくらかの予備経験はある。だから、少々のことでは驚かないつもりだった。
だが、日本でその名を知らぬものはないと思われる秋芳洞。それがどういう意味なのか、このときの私は理解していなかった。

入り口の狭い岩場を抜けると、通路はぐっと幅を広げる。それと同時に、水が流れるザーッという静かな響きが聞こえてきた。
・・・ん?静かな響き、だって?なんのことやら、と思って目を横にやると、そこには信じられない光景が広がっていた。



・・・なんですか、このディズニーランドのアトラクションみたいな光景は。

なかなか写真では伝わらない。私は是非、皆さんにこの地を実際に訪れてほしいと思う。とにかく、でかいのだ。
鍾乳洞といえば、普通は縦に長くて横に狭い、ピラミッドの通路みたいなものだと思われるのだが、秋芳洞は全然違う。
とにかく、腰を抜かさんばかりに、横にも縦にも広い。ちょっとした劇場であれば、すっぽり収まってしまいそうだ。。
目測で、横幅は 20m、高さも 15m ぐらいはありそう。そんな巨大な空間の中を、白く濁った浅い水がゆっくり流れている。
そして、観覧者がその威容をよく見られるよう、静かな川の上に広い通路が作られ、それが延々と先に続いている。

22mm 換算になるワイドコンバータのついた Caplio GX を持ってきてよかった。28mm 程度では、話にもならない。


あんぐりと口をあけて頭上を眺めながら、先へと歩いていく。すぐに、汗がじっとりと顔を覆う。暑くわけではない。
温度は寒くも無く暑くもなく、とても快適だ。何が問題かというと、強烈な湿度だ。試しに、ここでフラッシュを焚いて
写真を撮ってみてほしい。空気に漂う蒸気だか水の粒だかに邪魔され、ボンヤリした光の粒しか映らないはずだ。
よく、「山さ行かねが」で、やたらにキラキラした粒が写っている隧道内の写真が見受けられる。あれはマジだ。
水が流れている地下の空洞って、本当にものすごい湿度だ。写真を写すのに苦労するし、冬でも汗だくになるぐらい。

というわけで、フラッシュは封印された。22mm 換算のワイドコンバータでも捕らえきれないほどの空間の広がりを、
できるかぎり撮影していく。シャッター速度は 1/2 ぐらい。手ぶれ補正もない GX では相当厳しい条件だが、頑張る。



たぶんこのあたりが、一番広い場所だと思う。天井は柔らかそうにモコモコしているが、通路の向かい側の岩壁は
まるで人手で加工したかのように平たい。だが、たぶん自然の造形だ。いや、自然ヤバい。マジヤバイ。
こんなすさまじい風景を地下でこっそり平然と作ってしまう自然、超ヤバい。自然がんばれ、超がんばれ。

巨大な空洞の中を、通路は狂おしく身をよじりながら進んでいく。「ディズニーのアトラクション」と評したのは
まったく間違いではない。延々と続くこの空間は、実にかっこいい。空間をカッコイイといってしまう私もアレだが、
そう言わしめる秋芳洞もアレだ。とにかく、興奮が止まらない。バオーが覚醒しそうになるほどのアドレナリンを爆噴しつつ
どんどん奥に進む。それにあわせ、どんどん言葉を失う。ああ、これがゆえに、秋芳洞は名高いのか・・・確かに、これは、
本当に、凄すぎる!洞内を流れる水は灰色に濁っており、清冽さでは龍泉洞に劣る。だが、それゆえに、洞内にくまなく
形作られた自然の造形の凄さは、他で比べられるものがない。あえて写真は載せない。是非、足を運んで欲しい。

・・・そうだ。1つだけ載せておこう。背の高い入り口をくぐりぬけて秋芳洞に集う観光者たちが、ここでのたしなみとして
洞内をゆっくり歩くように。ギリギリのスケジュールで走り抜けるといった、はしたない観光者など存在することのないように。



残念ながら、私が通りがかったときは、この前でロザリオの授受をしたり、ロザリオを突っ返したりする観光者は居なかった。

やがて、洞窟の反対側の終端付近に到達。巨大な石柱が金色の光でライトアップされているちょっとした広場があるのだが、
おそらく記念撮影をする仕事をやっていると思しき渋いおっちゃんが、広場の暗い隅に置いてある椅子に座り、赤い電球の
暗い光の下で新聞を読んでいた。人工の光で照らされた洞窟の中の暗がりで客を待つその姿は、昔の ARPG の
洞窟ステージに出てくるアイテム屋そのもの
だった。脳内では古代サウンドが鳴り響き、視界を占める映像は
PC-8801mkIISR のグラフィックに変換される。・・・ふと、ゲームをやりたくなった中年がここに1名。

その後まもなく、終端地点に到着。結局、終端の出口まで、たっぷり 1km。ここから外に脱出してもどうにもならないので、
終端で折り返し、元来た道を引き返す。往復 2km の経路を歩くこととなる。観光しながらなので、合計で1時間少々ぐらい。
まだまだ頼りないかと思っていた私の足だが、さほど問題と感じることもなく、この道のりをしっかりと歩きぬいてくれた。
健康であること(≒明らかな病気ではないこと)は、本当に幸せなことだ。体さえしっかりしていれば、何でもできるから。


すっかり満足して、秋芳洞を出る。時計を見る・・・15時。うーん、これはなんというか、すごく中途半端な時間だ。
今から山口市に行って湯田温泉を満喫するのは、かなり厳しそうだ・・・しかし、今から長門市に行ってもなぁ・・・
駐車場で少し悩んだが、考えていてもなにも始まらない。とにかく行動あるのみ!エンジンを始動し、駐車場を出て
元来た道を引き返・・・ん?駐車場を出ようとした刹那、台地に登っていくルートに繋がる別の出口を見つける。

・・・気がついたら、そちらの出口から出て、大地に登っていく強い傾斜の道路を走っている自分が居た。まぁいいか。
ともかく坂を上っていくと、やがて展望台らしき駐車場に到着。すっかり曇りきって、薄暗く、また寒さ厳しい車外に出て
目の前の坂を上ると、求めて止まなかった(というほどでもないが)秋吉台の壮大な風景が目の前にあらわれた!

本当ならばここで、感動のセリフと合わせて素晴らしい景色の写真でも載せたいところだが、残念ながら時期が悪い。
目の前に広がったカルスト台地は確かに壮大な景色なのだが、冬場で草も枯れ果てたところに、薄暗い曇り空だ。
この風景は・・・侘し過ぎるだろ、常識的に考えて・・・挙句、花粉を含んだ冷たい風がびうびうと吹き付けてくる。
残念だが、秋吉台は、いま来るべき場所ではなかったようだ。朝方から収まっていた鼻水がじるじると出てきそうに
なってきたので、景色と敗北感をしっかり目と心に刻みつけ、そそくさと秋吉台展望台から退却。カプで移動開始。

結局、得るものがあまりなかった展望台に来てしまった(?)おかげで、時間を消費してしまった。もはや、今から
湯田温泉に向かっても、長門湯本に移動できるのは相当遅くなってしまう。無念だが、湯田温泉は次の機会としよう。
ということで、ルーティングを変更。このまま県道 32号を北上し、県道 28号 → R191 → 三隅 → 長門 → 湯本
なる経路を辿ることにした。まったく無意識に、もっとも長い時間のかかる(時間は少し余り気味だった)道を
選んでみたつもりだったのだが、これは思わぬ出会いを生んだ。ここから北の県道32号は、別名 "秋吉台スカイライン"。
さきほど展望台から見た、荒涼たる景色の中を突っ切るルートなのだった。調子がよければブッ飛ばしたくなるような
快走ルートが続く。だが、今の私は時間が余り気味で、できるだけ時間を稼ぐ必要がある。なので、まったり走る。

・・・だがまぁ、こういう見晴らしの良い道をまったり走るってのもいいもんだ。雰囲気は、九州のやまなみハイウェイの
絶景とよく似ている。あっちはカルスト台地ではなかったと思うが、まぁとにかく見た目はよく似ている。ふうむ。
まさか、本州において、九州のアレとよく似た景色が見れるとは思わなかったよ・・・。朝方に見た角島といい、
山口県って、絶景に恵まれたすばらしい地ではないかと思えてきた。瀬戸内に行けば、重工業都市もあるしさ。


気持ちの良いワインディングを抜け、立派な(?)パーキングのある大正洞を通過。どことなく「パラダイス」の
雰囲気を匂わせるサファリランドの横を通過し、県道 28号へ。見通しの良い良好な線形が続くので、どれほど
ゆっくり走ろうとも、あっという間に山を越えてしまう。まもなく湯免温泉を過ぎ、海寄りの町となる三隅へ到着。
しかしながら、夕飯を供給してくれるであろうと思われる規模の市街地が、なかなか現れない(今日の旅館は朝飯のみ)。
とにかく R191 を進んで、長門市内を探索するしかないか。そう考え、長門市に突撃。だが、長門市もまた、いささか
期待にそぐわない街ではあった。市街地の南端のほうを通過する R191 沿いはいくつかの飯屋があったものの、
主要幹線道路沿いにある比較的大きな街にしては、飯屋が無さ過ぎる。特に、長門といえばカレーだろうと思って
カレー屋を探してみるが、どこにも見当たらない。つまり、リアルさを追求して、レトルト買って食えってことか?

結局、長門市の末端と思われる県道 56号との交差点に至っても、飯屋はあまり発見できずじまいだった。うーむ、
もうちょっと選択肢を増やしてみたい。そう考え、正明市交差点を北に折れ、長門市の市街地へ突入する。

交差点を曲がった瞬間、ふと「・・・失敗したか?」という直感が脳裏をよぎる。そこは明らかに、商業地ではなく
住宅地だった。ナビの画面をちらりと見れば、駅がすぐ近くになる。住宅地を走る意味は無い。とにかく駅を目指す。
だが、住宅地の間の狭い道を抜けてたどり着いた駅前には、少し大きめの商業施設はあるものの、やはり飯屋がない。
む、むぅ・・・探索をあきらめず、更に先へと進む。だが、道路沿いにあった飯屋といえば、僅か1軒のうどん屋?のみ。
どういうことだ、長門。探す場所が悪かったのか?探索範囲を拡大し、駅を突っ切って仙崎のほうまで進む。残念ながら
ここもまたほとんど飯屋が存在しない。見つかったのは寿司屋だけだ。もう一度駅前に戻って、探索を行う。だがしかし、
見つかったのは、寿司屋か海鮮系の飯屋だけだった。そうか・・・飯屋がないわけじゃない。選択肢がないだけだ。
というか、ここは漁港。寿司屋と海鮮の店があるのは当然だし、それ以外を求める旅行者なんて変わり者だろう。
そして、過去の貧乏旅行を思い出す。地方の街では、家でご飯を食べるのが当たり前。飯屋が少ないのが普通――

シクったな。長門といえばカレーだ、なんていう残念な観念に捕らわれていた私が莫迦だった。しかし、漁港といえば
海産物だ、というお仕着せの選択肢も面白くない。さきほど見つけたうどん屋に戻り、カツ丼セットを注文する。


注文した品物が出てくるまで、店内で少しゆっくりする。平日の夕方 16時過ぎということで、さすがに客は誰一人・・・
いや、居た。こういう店といえばドカチンのおっさんが居るのが通例のはずだが、なぜか店内に居たのは女子高生2人組。
スイーツがあるわけでもないこんな店に、女子高生。その取り合わせの不可思議さに驚いてしまうが、先ほどまで見た
市街地の様子から考えて、納得できなくもなかった。この長門市、とにかく喫茶店の類が欠乏しているような気が。
結局、この世の春を謳歌すべき女子高生が、おっさんの吹き溜まりのようなうどん屋に行かざるを得ないということだ。

それはともかく、カツ丼は美味かった。朝から体をしっかり動かしてきたお陰もあるかも。仕事とか同人作業だと、
まったく体を使わないからなぁ。やっぱり、良くない。年を取れば取るほど、積極的に体を動かさないといけないと思う。
幸せを感じつつ飯を食い終わったら、そろそろ 17時。さて、宿に向かう前に、夜食を調達しておかないとな。うどん屋を出て
駅前を抜け、ルネッサながとの前を通る(おそらく)長門市の中央通りを東に向かう。途中で目的のコンビニを見つけたが
一旦パスして、そのまま直進。やっぱり一応、気になるじゃん?「ルネッサながと」っていう名前がさ。というわけで、
とりあえずルネッサながとに向かう。街を少し外れたところにあるそれは、モダンで良い感じ。だが、何より気に入ったのは、



ルネッサながとの向かい側にあった、長門の家だった。これがまた、すっげー立派な建物。ルネッサながとに劣らない。
対ヒューマノイド・インターフェースの前線基地をこんな所に作っていたとは。さすが情報統合思念体、油断ならない。


というわけで色々盛りだくさん過ぎた感もあるが、本日の観光課題は全て終わり。はぁー、疲れた。戻る途中にあった
コンビニで夜食を調達したら、長門湯本の白木屋グランドホテルへ一直線。R191 から R318 へ入り、山に向かって進む。
R318 に入って長門市を離れると、まもなく景色は閑散とした田舎に変わる。だが、見通しの良い快走路をどんどん登って
長門湯本に近づいた途端に、峡谷を流れる深川川沿いに広がる、すごくいい雰囲気の山間の温泉街が見えてきた。お!?
もっと今ひとつの(失礼)温泉を想像していたのだが、これは予想をはるかに超えた、いい雰囲気の宿かもしれない?

期待にムネを膨らませつつ、R318 を先へと進んで、温泉街の中央より少し先にある白木屋グランドホテルに到着。
予定よりも 15分ほど到着が遅れたが、ちょうど他の宿泊客も到着したところのようで、宿の入り口は混雑していた。
久々に味わう、いい感じの活気だ。ホテルの玄関でボーイさんに荷物を渡したのち、向かい側にある駐車場にカプを停める。
ふぅ〜・・・今日の走行距離は・・・ああ、僅か 200km。だが、距離を抑えたお陰で、けっこう色々楽しめたように思う。


ホテルに入り、チェックイン。宿の雰囲気は、かなり昭和が入った感じで、古め。だが、「落ち着きがある」という表現も
また、間違ってはいない。チェックインを終えたら、部屋に案内される。昨晩の宿は、寂寥感を覚えるほどに部屋が広かったが
本日の宿は一転して、いい感じに狭い。2名宿泊だと結構ピチピチじゃね?というぐらいの広さ。だが、一人だと超快適だ。
・・・どうもイカンな。一人分以上の空間を与えられると、どうも不安になって仕方が無いようだ。空間恐怖症・・・なのか?

館内の設備を色々説明してくれた仲居さんが部屋から去って、一息つく。ああ・・・それにしても、疲れたような気がする・・・
今日はこれで 200km かぁ。明日の宿までの距離は 250km。うーん、大丈夫だろうか俺。まぁ、なるようにしかならん、か。
頭の中に浮かんだ不安を払拭すべく、宿周辺の案内図を見る。来る途中で思ったとおり、この温泉街は予想外にすごいようだ。
いま居るこのホテルの裏側がすぐに川になっており、川沿いに色々と温泉街らしい雰囲気のするモノが存在するようだ。特に、
川沿いの足湯にひどく興味を引かれる。だが、さっさと浴衣に着替えてしまったので、このまま外に出るのも気が引ける。
雪が降ってないから忘れそうになってしまうが、一応は真冬だしね(笑)。明日の朝、街中を散策してみようと考えた。

一息ついたら、さっさと風呂へ。昨日と同じように、他の宿泊客が来るまでの間に満喫してやるんだ〜っ。手早く浴場に向かう。
浴場は奇をてらわず、内湯+そこそこの大きさの露天風呂という構成。だが、何がいいと言っても、その泉質に心を惹かれる。
成分表は見なかったが、明らかに強めのアルカリ泉だ。入った瞬間から、湯が体の表面にヌルヌルとまとわり付いてくる。
おお、これぞ「温泉に来たぜ」という感じじゃないか〜。誰も居ない大浴場の中で、上質の湯をたっぷりと楽しむ。贅沢〜。

風呂から上がって、部屋に戻る。時計の針は、まだそう遅くない時間。昨日は眠くて眠くて何の作業もできなかったから、
今日こそは色々と・・・と思っていたのだが、風呂から上がってビールなんか飲んでしまった瞬間に、激しい眠気が襲ってくる。
抗おうと努力したものの、22時前には完全にダウン状態・・・とにかく、疲労している。06年の東北旅行でもそうだったが、
目の疲労が特にひどい。遠くばかり見ているものの、やはり一般道の運転は、高速とは全然緊張度が違うのか。ああ、
それにしても凄く衰えたものだ・・・って、そりゃそうか。昨日も一昨日も、実は短時間しか眠っていないもんな(汗)

宿の部屋に入った瞬間から苛まれ始めた花粉症のような症状に苦しみつつ、布団に入って眠りにつく。
鼻水が止まらなくて苦しいし、(結構歩いたためか)足首の疲労も少し復活中・・・どうも、よろしくないねぇ・・・
明日は・・・石見銀山と、温泉津温泉と、玉造温泉か・・・距離が長いし・・・ちゃんと到着できるかな、大丈夫かな・・・

明日の私を待っていたのは予想外の逆境であったが、この時の私の心配は、まったく気楽なものであった。


ところで、移動中にずっと FM ラジオを BGM として聞いていて気づいたのだが、山口県の FM は、勉強関係の話が多い。
時期的に関係の深い大学入試の話のみならず、英会話の宣伝みたいな生涯教育系の話も頻繁に出てくる。なんでも、山口は
多数の総理を輩出しているが故にかどうか、全国屈指の教育県であるという話は聞いていた。それは決してウソでは無いようだ。


2/26

静かな渓谷に存在するこの宿は、快適な夜のひとときを提供してくれた。・・・我が天敵、スギ花粉の存在を除けば。
山奥だけに止むを得ないとはいえ、部屋の中にたっぷり充満した花粉は、鼻腔を夜から朝まで刺激するのに十分な量。

なんだかんだで疲れ果てたのか、たっぷり8時間ほど眠ってから起床。とりあえず回復はしたようだが、残念ながら、
あまりスッキリした感じはない。激しい花粉症症状のせいで、息苦しさがキツく、眠りが浅かったからだろうかと思う。
そういえば明け方に近いころ、また舌が少し痛くなったが、すぐに収まったようだった。自律神経、いまだに狂いっぱなし。

体を引き起こし、洗面所へ。顔を見れば、目が真っ赤。イナバはイナバはイナバはイナバは目が目が目が目が目が赤い。
部屋に渦巻いていたと思しき花粉の影響は、ここまで凄かったか。しかし、腰も含め、他の部位は大きな問題はないようだった。

服を着替え、朝飯を食う。昨日とは異なり、バイキング形式ではなくシンプルな和式のお膳。なかなか美味かった。長門市という
巨大な漁港が近くに存在するためか、皿に乗っている海産物からは、いい海のにおいがする。ううん、これって贅沢なお膳だねぇ。
また、味噌汁もなかなか美味い。なんというか、甘いんだよね。昨日の朝も感じたんだけど、山口の味噌汁は甘い。白味噌か?


朝飯を食ったあと、出発まではまだ時間が余っていたので、服を着替えて靴を履きホテルを出て、湯本温泉の町並みを散策。
昨晩見た案内図どおり、宿の裏手(正確には、こちらが表という気もしないではないが)には一筋の川があり、川沿いに町がある。
なんというか・・・絵に描いたような、そして長年、その「絵に描いたような姿」に憧れを抱いてきた、理想的な山奥の温泉街だ。



町中には、公衆浴場がある。朝の光の中でいささか鮮やかさを失ってはいるが、古風な銭湯のような風格の屋根を持ちながら、
ドキッとするような鮮烈な赤色を身にまとっている。「千と千尋の神隠し」で出てきた湯屋が、いずれも、風化の影響を受けつつも
独特の、噎せるような朱色の色気を放っていたことを思い出す。この温泉も例外ではない。優美な曲線と赤色朱色の乱舞が、
生命の躍動を強く感じさせる。そういえば、琵琶湖に浮かぶ弁財天の島・竹生島でも同じような色気を感じたことを思い出す。
ニホンの赤色は、本当にエロいです。そして、ニホンの景色のいたる所に赤色があります。つまり、ニホンはエロい国です。


それにしても長門湯本は、予想以上に良質な温泉街だった。感動を覚えつつ河原に降り、こぽこぽと音を立てている足湯へ。



早朝ということで、周りには誰もいない。ホテルの向こう側の道路を、ときおり自動車が通る。かすかに聞こえてくる
ザーッというロードノイズも、冷たい朝の空気の中に漂う湯けむり越しだと、小川のせせらぎのような風流さを感じる。
靴下を脱いで、足湯にとぷりと足首を沈め、空を見上げる。静かな山奥の温泉街の足湯を、独占。ああ、なんたる贅沢。

・・・熱くもなく、さりとて冷たくも無く。足湯の温度は、じつにいい按配だ。疲れ気味の足首をじっくり暖めていると、やがて、
足がすごく軽くなったように感じられる。いささか頼りなさを感じているのは、やはり血行不良が一因なのか。。。


15分ほどのんびりして、魂の最終充電を完了。部屋に戻って荷物を抱え、快適だった宿をチェックアウトする。

カプに荷物を積み込み、夜露で曇った窓を拭きながらエンジンを暖める。さて、、、今日はどこに立ち寄れるかな?
現実的には、長門から玉造までの直線上にあるポイント以外、立ち寄ることはできないだろう。となると、まずは萩か。
津和野もまた気になる地ではあったが、なにより荻には、吉田松陰神社がある。山口観光で、維新関係の地は外せない。

当面のルートが決まったので、宿を出発。昨晩来た道を逆向きに走って長門へ降り、市街地をパスして三隅の西に出る
立派な県道を抜ける。なんでわざわざ、長門市をバイパスする立派な道が作られているのだろう。なんとなく疑問だったが
まぁ、山口県は道路行政方面に金が余ってんだろう、と結論しておく。その思いは、R191 を東に進んだところで強くなる。

R191 を東に進み、三隅に突入して少し走ったあたりで、いきなり有料道路の入口を見かける。・・・ん?ナビを見るが、
そんな道は地図に書かれてやしない。昨年夏に更新したばかりの地図にも載っていないということは、すごく新しい道?
どこに行けるのか判然としなかったので、入口手前にあったY字路の空き地でちょっと停車し、看板を読む。曰く、
荻方面には行ける道路のようだ。とりあえずは無料で走れるらしい(緑色看板だけど)。無料なら、まぁいいか。

空き地で再度方向転換し、有料道路へ。R191 から分岐した道路は、高架となって街を越え、街の北側の防塁のように見える
山腹へ突っ込む。その山を何本もの立派なトンネルによってブチ抜いた道路は、いつのまにか、山陰の海を横目に見られる
海に近い位置まで北進していた。その後は、海に近い位置をキープしつつ東へと向かう。・・・な、なんだ、この立派な道路。

・・・ひょっとして、いわゆる山陰自動車道の1つなのか?対面通行ながらも、交通量と比べれば立派に過ぎるような規模の
この道路を見て、ふと、福井県を東西に貫く中部縦貫道の、永平寺〜福井北区間を連想してしまった。ビジュアル的には、
アレの立派さに少し似ていると思う。ただ、交通量的に言えば、中部縦貫道のほうは交通量が結構多い、という差はある。

なんだろうこれなんだろうこれ、と疑問符を頭に浮かべながら先に進むと、やがて PA が現れる。ええっ!?PA があるの!?
PA があるってことは、ますます山陰自動車道の疑いが濃い・・・私はこの疑問の答えを得るべく、誘導路に従って PA へ。

驚くべきことに、PA は、まだ造成中のようだった。誘導路を抜けた先にある、一段低い巨大な平地。トラックが往来しているだけで
まともな PA としての施設はおろか、駐車位置を示す白線すらない。そんな PA へ普通に入り込めてしまう、というのが驚きだ。



よくわからない感動を覚えつつ、何もない広場をゆっくりと抜け、PA の出口へ。そこに立っている工事用の事務所と思しき
プレハブに掲げられている看板に、この道路の正体が書かれていた。その名は "萩三隅道路"・・・あまりにも、そのままだ。

地図を見ると、三隅と萩を結ぶ R191 には不思議な逆Ω形状の区間がある。想像だが、R191 は地形が険しい区間を通っている。
山口県の地勢には詳しくないが、おそらく、県の中央と東を結ぶメインストリートの R9 より北には、これまで大容量な道路が
なかったのだろう。だから、県の最北に位置する市街地となる三隅と萩の間を直結する大容量な道路を作っている・・・と。



・・・だが。だが、しかし。そもそも、県北部に、そんなに大容量な道路が必要なのだろう・・・か・・・?
R191 の逆Ω区間をバイパスするトンネルか何かをちょこっと作るだけで、問題は解決するんじゃなかろうか・・・。

不思議に思いつつ、超立派な道路の工事中区間を抜け、超普通な R191 に戻る。R191 は狭いとはいえ、ちゃんとした国道だ。これでも
充分じゃないのか?そう思いながら北側の山肌を見ると、至るところで法面が削られ、ユンボなどの重機が乗り散らばっている。
ものすごい勢いで、さっきの道路の延伸を進めているようだ。山口県にここまでさせるこの道路って、そんなに重要なのか?


帰ってから調べないといけないことが、たくさん溜まってきたな・・・そう思いながら R191 を抜けて平地に降りると、いきなり
景色が変わりだす。寂れた山間を進む道路は、黒い瓦の乗った綺麗な白壁が川沿いに立ち並ぶような、和式の美しい街を通る
道路になる。おお、なんだろう。この、序盤の山場を越えて中盤の主役となる大きな城下町に来ましたぜ的な ARPG 的展開。

結論から言えば、そこが。"山陰の小京都" と称されるだけあって、確かに、町の作りは京都をイメージさせる。山を越える道を
抜けた先の平地に作られた萩は、碁盤の目に区画整理され、静かで美しい佇まいを見せる。黒と白と濃緑と焦茶、それに青い空の
5色を基本とした、落ち着いた風景。真っ青に晴れた空から差し込む強い日の光に照らされてキラキラと輝く荻の町並みは、
まさに、山陰のオアシスのように思えた。なんというかなぁ。こういう、生活感を感じさせない演出は見事だと思う。

まっすぐに市街地を走りぬけ、東の端付近に到達したあたりで、吉田松陰神社を見つける。幸いにも、町を貫く道路を挟んで
反対側に、大きな無料駐車場が用意されていた。平日ということもあり、ガラ空きだ。手早くカプを押し込んで、神社へ。


かなり有名な観光地のようで、バス用の大きな駐車場を備えた門前の広場を抜け、奥に進む。幸いにも、観光客の姿は少ない。
鳥居をくぐり、歴史館や土産物屋を備えた手前の広場を進むと、参道の左手側に、大きな石碑が堂々と建っていた。



背丈の二倍以上はあるだろうか・・・青空に枝を張る立派な松の木の前に立つ石碑には、「明治維新胎動之地」という文字が
力強い書体で刻まれている。私の住まいは京都だから、南のほうを少し歩けば、新撰組関係をはじめとした明治維新の遺構には
いくらでも遭遇する。だが、京都を少しでも離れれば、明治維新などは高く天におわすお公家さんと武家さんのお話よ、俺たち
平民には何ら関係ねぇ話さ、と言わんばかりに、遺構は全く見かけられなくなる。そういう意味において、京都から遠く離れた
本州の西の果てにおいて、明治維新の痕跡・・・いや、むしろ始まりの点と出会ったことは、衝撃的でもあった。

奥へと歩みを進める。周囲にあった後世の建造物は姿を消し、維新の頃の雰囲気を色濃く残していると思しき庭園(?)に続く。
しっかりと踏み固められた明るい色の土の上に、往時の建物と思しき小さな家が何軒も佇んでいる。説明を見れば、どれも
吉田松陰翁にまつわる建物らしい。いずれも豪邸ではなく、当時としてはごく平均的と思われる、小さな建屋ばかりだ。



遠くから、鳥の鳴き声が聞こえる。・・・縁側に座って茶菓子でも食べながら、ゆっくりとした時間を過ごしたくなる。


静かな雰囲気に心を休めながら、さらに奥へ。土を踏みしめた先の地で目の前に現れたのは、神社の鳥居だった。



厳しい顔つきをした立派な鳥居の両脇に、赤と青ののぼりがビラビラとはためいている。ビラビラと・・・ビラビラと・・・
頭の中で「吉田松陰物語」が再生されかけるが、すんでのところで思いとどまる。私は生きてこの神社を脱出したい。

神社へのお参りを済ませたら、もう一度同じルートを辿って、外に向かう。その途中、かの有名な「松下村塾」の庵を見つける。



庵はとても小さなもので、こんなところから近代日本が始まったとは、俄かには信じられなかったぐらいだ。だが、中を覗けば
高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋・・・近代日本史の中に名を連ねる人々の写真と名前が飾られ、ここで間違いないことがわかる。
・・・はあぁ。こんなところで、明治以降の近代日本の舵取りを担った人々が、まつりごとについて学んだり考えたりしていたのか。
不思議な気がする。この庵がなければ、近代日本は始まらなかったのだ。少なくとも140年後世にまで至る、近代/現代日本の
礎を作ったのだ。どれほどの重みか、想像すらつかない。開けっぴろげに作られた、八畳敷の講義室。さり気な過ぎる、変曲点。

庵を離れる直前、ずっと中を覗きこんだままの、今風の若者の姿が気になった。私がここに来てからずっと、同じ場所に立って
中を覗き込んでいる。同じ場所で、だ。共に、日本を支える仲間。彼は何を想い、何を感じ、何を為そうと思考しているのか。


萎れて曲がった背筋をまっすぐ伸ばしながら、神社を後にする。非常によい体験ができたが、ここで時間を消費したのは、正直
少し想定外だったかもしれない。時計を見て、移動に使える残時間を計算。少しペースアップしていかねばなるまい、と考える。
松陰神社前の県道 67号を北に向かい、道の駅に立ち寄ってみやげ物を購入。生鮮食品が多く、持ち帰れるものは少ない。
美味そうなものが多いけど、うっかり買えない。よく吟味し、少なくとも数日は日持ちしそうなものを選んで購入する。

みやげ物の補充を終えたら、未だに少し違和感の残る足を気にしつつカプの元へと戻り、エンジンを始動して出発。
県道を離れ、R191 へと入って東へとずんずん進む。時間は少ないが、特別頑張ることはせず、流れに乗って走り続ける。
この先、R191 は大半が海沿いを走る快走路。カーブは緩やかで、起伏は少なく、信号もほとんど無い。集落も少ない。
それゆえ、基本的にペースが相当高いようで、何も考えなくても結構なハイスピードを維持して走ることができる。
「これが実は山陰道なんです」と言われても、まぁそうか、と信じられなくもないぐらいだ。予想外に気持ちがいい。

気持ちがいい理由は、他にもある。流れのいい道路もそうだが、なにより、山口県北側の海の色が良い。
明るい緑と青色・・・それはすごく、綺麗な色なのだ。北に行けばいくほど、日本海は濃い色になっていく。だが、
日本海ってそういうもんだと思っていたら大間違い。山口の海は、まるで南洋と見まごうばかりの明るさなのだ。
時間が余ってしょうがない状態であれば、いたるところに作られている展望所に止めて一休みしたいところだが
今はあんまり余裕が無い。ちらりちらりと眺め、自分の心の中に鮮やかな記憶色を残すだけにとどめる。


快適なクルージングを楽しみながら、どんどん東へと進む。やがて、本当に「何も無い」という以外に表現しようのない
小さな集落を何個も越えた頃、道路は少し高度を上げて見晴らしを良くしつつ、激しくガスった空気の中に突入。
青い空、青い海。だが、空気は黄色く霞んでいる。これは?と思って看板を見れば「石見空港」という案内とともに
「砂埃注意」なんて表示があった。す、砂埃か・・・半日もクルマを放置しておいたら、塗装に自然のサンドブラストが
しっかり掛けられてしまうかもしれない。そう思うとともに、そんな場所に飛行場作ってもいいのか、エンジンが
あっという間に痛まないか、そんな心配をしてしまう。見晴らしの良さが必要だったんだろうな、とは思うけど・・・。

石見空港を過ぎると、ようやく道路は高度を下げ、久しぶりの市街地に出る。・・・益田市だ。うぉー!萩市からここまで、
正直、何にも無かった。何にも無さ過ぎた。あったものは、立派な道路と、何本かのトンネルと、綺麗なオーシャンビュー。
ようやく、長らく私の脳内で「ドラゴンが棲む領域」であったこの区間のマップが完成した。残念ながら、「真っ白」状態で。
何もないとは聞いていたが、確かに・・・何もなかった。おそらく、山口市〜益田市間を R9(内陸側の縦貫国道)で走れば
長門峡とか津和野あたりで、何かマイルストーンを見つけることができたのだろうと考える。次に来るときは、内陸攻めだな。
(なお、たどり着いた先の益田市だが、これまでの区間とは段違いだとはいえ、特筆すべきほど発展しているわけではない)

益田で R191 と別れ、交差点を左折して R9 へと入る。ここからは R9 を辿るルート。ドラゴンの棲む領域を抜ける R191 と
違って、山陰の経済の中心軸となる R9 はさすがに交通量が多く、似非山陰道 R191 と比べると走行ペースが大幅に低下。
大きなトラックが何台もごうごうと音を立てて走っているのが、その原因のようだ。だが、だからといって遅いわけでもなく、
到着予想時刻の遅延も特に発生していない。ここから先は、しばらくは流れに乗り、大人しく走ることにするかね。


アップダウンを繰り返しながら山間を抜ける R9 は、景色的に特別面白いところはない。だらだらと先へ進む。時間も進む。
時計に目をやると、ちょうど正午を過ぎた頃になってきた。そろそろ、腹も空きはじめる。そろそろ人間への給油を・・・
と思いながら先へと進むと、やがてうまいぐあいに、道の駅「ゆうひパーク三隅」が現れる。ほうほう。滑り込む。

外は猛烈な好天。花粉もブンブン飛んでいるだろう。昨年6月にカプチーノに仕込んだエアコンフィルターの効果は絶大で、
窓を閉めて走っているかぎり、外気導入にしようが何をしようが鼻水は出てこない。だが、外に出たら洗礼を受けまくる。
天候が気持ちいいだけに悔しい話だが、仕方ないさ・・・僕は花粉症なんだ・・・。マスクを装着し、車外に出る。

・・・ふと、海側の景色を見る。



ちょっとした崖の上に作られているらしいこの道の駅は、美しい日本海を真正面に見晴らすことができる。いい景色だ!
更に言えば、夕方に来れば、沈み行く夕日を見ることもできるらしい(もっとも、ここで夕方を迎えたら後が大変だが)。
白波が砕ける海岸沿いに走る茶色の線は、山陰本線のレール。素朴極まりない単軌条の鉄路は、このまま京都へ続く。

しばし景色に見とれたのち、食堂にて飯を食う。普通にカツ丼を頼むが、味噌汁がとにかく旨かった。海沿いはいいね。


飯を食ったら、再出発。ゆうひパーク三隅は、益田市と浜田市の中間地点。益田市からかかった時間と同じぐらいの時間を
費やしたのち、ようやく浜田市に到着。あの「浜田道」で有名な(?)浜田市、さて、一体何が待ち受けているのだろうか・・・

これまでほとんど、本当に何も無い区間ばかりを走ってきた。市街地が見えてくると、それだけでも無性に嬉しくなる。だが、
そんな心を知ってか知らずか、R9 は市街地に入らず、南側の山腹を経由して大きく街を迂回する経路を取ってきた。
な、なんということか。これでは、(自分的に)長らく謎に包まれてきた浜田市の正体を知ることができないではないか!

ちくしょう、なんという行政の陰謀か。きっとアレだ、浜田市には、国家機密レベルのすごい施設があるに違いない。
だから、私のような一般人が容易く近づけるようにはなっていないのだ。そう、ロシアの閉鎖都市のように・・・などと、無駄に
妄想を逞しくしながら道路をトレースしていると、やがて現れた施設は国家機密などではなく、浜田道の浜田 I.C. だった。
ナビはここで、R9 を離れて浜田道に入るルートを指示している。普段の私なら、鼻で笑ってガン無視するルーティングだが
冷静に考える。浜田道はおそらく、これからの人生で、二度と通ることのないであろう有料道路のトップランクに位置する。
そうだ。今通らねば、いつ通るのだ・・・というわけで、ナビの指示に従い、サクッと浜田 I.C. から浜田道へ入る。

料金所を過ぎ、真っ直ぐに伸びた浜田道が見える。だが、浜田道との短いランデブーは、いきなり終了。すぐに現れた
浜田 J.C.T を駆け上り、山陰道へと入る・・・お!これぞ、真・山陰道(?)。低い山の間を抜ける、開放的な高速道路が
目の前にスラリと伸びている。見た目には凄く立派。だが、前を見ても後ろを見ても、誰も走っていない。これがまた、
いまどきの、「交通需要逼迫による地元の切実な要望で作られていない」高速道路らしい雰囲気を、強く感じさせる。

ちょうどいい機会だったので、久々に全開加速して、スス落とし。しかるのち、ペースを落としてのんびりと走行しつつ
少し考える。浜田市は(遠巻きにしか見れなかったが)久々に現れた立派な市街地だった。実際、萩市〜浜田市の間は
益田市を除き、ほとんど市街地が無かったといっても過言ではない。だからこそ、浜田市に縦貫道を作ったということか。
つまり、ここで中国山地を貫いて山陽に出なければ、いったい他のどこで出るのかという・・・選択肢の無い状態なのか。


ほどなくやってきた江津 I.C. にて山陰道は終端し、ふたたび寂しい R9 での旅に戻る。しばらく R9 を走ると、やがて
温泉津温泉が近づいてきた。時計を見ると、到着予想時刻に少し余裕があった。予想以上にいい流れで来れたためか。
せっかくなので、温泉に立ち寄っていくことにした。R9 の下り坂の途中に温泉街への分岐が存在したので、そこから流入。



絶壁脇を抜けた先の、町の入り口に立っている看板には、「ゆのつ」の文字。漢字を見る限り、おんせんづ・・・としか読めないよな・・・
いや、ニホンのチメイはどこも難しいデース。なんというか、音が先にあって、後から表記をくっつけたような知名は、本気で読めない。

正直、温泉津温泉には激しい期待があった。島根随一の泉質を誇るだとかなんだとか、事前調査で見た煽り文句が素晴らしく
そりゃもう素晴らしい(?)温泉を想像していた。だから、クルマで入り込んでいった先がどんどん寂れて怪しい(?)雰囲気に
なっていっても、まぁそんなもんだと思っていた。だが、軽自動車のすれ違いも難しいような狭い路地を挟んだ温泉街を抜け、
山間の狭い渓谷の果てにある所属不明のガレージにクルマを止め、そこから歩いて戻ってきたところになんとか見つかった
公衆浴場に入っても、番台に誰も居らず、また呼び出す術すらないという問題に直面したときには、さすがに困った。
いや、確かにここは、観光地ではない。どちらかといえば湯治場に近いようなんだけど・・・しかし、人が居ない、とは・・・。

仕方ないので、別の公衆浴場らしい建物を探し、なんとか営業していたところを見つけた。見た目がすごく派手なその建物は、
薬師湯という名前で、古色蒼然とした建物が並ぶ温泉津の界隈の中では、何故かかなり浮いている雰囲気を放っている(笑)
しかし、温泉の中身は、温泉街随一の質と言えるようだ。かなり期待しながら、番台の若いおねえさんに代金を支払い、入浴。

・・・風呂場に入ったところ、とても狭い湯船に、先客と思しき爺さんが、4名も居座っていた・・・。

大人2人が足を伸ばして入ったら一杯一杯ぐらいのサイズの湯船に、爺さん4名。芋洗い。超芋洗い。泉質は、かなり黄色くて
湯の花がたっぷり。有馬温泉がさらに強化されたような感じとも言える。湯の温度は高くもなく低くもなく、とてもいいのだが
いかんせん、爺さんだらけで狭められた湯船の中では、足を伸ばすこともできず、全くくつろげない。タイミング的に大失敗。
私の後からやってきた若者も、入浴することには成功したようだが、ほとんど長居せず、さっさと上がっていってしまった。
そんな様子を全く気にもせず、湯船を占有して満喫している爺さん連中。空気を読んで欲しかったが、年配の人には無理か。

私も長居する気になれず、(いつもより)早めに湯船から上がり、体を冷やしながらクルマの元に戻って、温泉津を出る。



・・・さて。時計を見ると、15時ぐらい。残るポイントは・・・出雲大社は明日巡る予定だし、石見銀山だけか。しかし、
銀山だけと言っても、時間的に余裕があるのかないのか分からない。あまり、のんびりしては居られないな。少し急ごう。

・・・事件は、その後まもなく、起こった。

しばらく R9 を走り、仁摩サンドミュージアムの横を通過。・・・砂、の博物館?気になる。次の機会には訪れたいな。
そんなことを思いつつ、石見銀山に続く県道 31号の交差点を右折。その途端、道路は広域農道的な雰囲気に変わる。
これは、ペースを少し上げられそうだ。それまでずっと抑えていたアクセルペダルをぐっと踏み込み、速度を上げていく。

県道 31号は、R9 並みの立派な幅を維持しつつ、潮川沿いの狭い平野の中心を抜けて、山へと迫っていく。道路の周囲には
既に田畑があるばかりで、民家はあまり見当たらない。それなのに、人里離れたこの道路の広い歩道を山に向かって歩く、
一人の若い女性の姿を見かけた。はて・・・こんなところを歩いている人がいるとは。しばらくの間、家なんて無いはずだが。
どうせ向かう方向は同じなんだから、どうせなら乗せていってあげたいところだが・・・どう考えても、怪しまれるよな(笑)

そんなことを考えつつ女性の横を通り抜け、新大森トンネルに続く上り直線に差し掛かる。さぁ、ここを抜ければ到着だ。
そう考え、アクセルを底まで踏み込んで加速。4速に入っていたギアのために、エンジンには大きな負荷が掛かる。
上り坂区間ということもあり、おそらくこれが、今回の旅行において一番負荷が掛かった瞬間だっただろう。

そこでギューンと加速を開始したカプは、突然

バン!!

という大きな破裂音を立て、加速を止めた。





・・・うっ!?直後、ギャンギャンギャン、とレブに当たるエンジン音を聞いた記憶は無い。ただ、無意識にアクセルを離したあと、
ただならぬ事態が起きたことに気づく。咄嗟に思いついたのは、「またエンジンブローか!?」ということだった。思うより早く
視線はバックミラーに移るが、ミラー越しに見える景色はまったく澄んだものだった。と、なると・・・吸気配管の破裂か?
エンジンブレーキの感触すらなく、アイドリング状態のまま惰性で走るカプチーノのアクセルペダルを踏みこんでみるが
エンジンの回転が勝手に上がったり下がったりするばかりで、クルマの動きはまったく変わるところがなかった。

くっ・・・駆動力が、まったく伝わっていない・・・(汗)

エンジンからの音は正常のようだが・・・ど、どうした・・・動け、The・O!なぜ動かん!?ギアが、ギアが飛んだのか・・・?
ギアを変えるためにクラッチを踏み込む。が、その瞬間に聞こえてくる、「ギャーーーォ!」という、何かが擦れる大きな音。
音を無視して、ギアを他のポジションに入れてみる。だが、やっぱり、まったくクルマは反応を示さない・・・

・・・どうやら、かなりマズイ事態が起きたようだ。なんてこった・・・・心臓が早鐘を打ち始める。

だがしかし、いくら早鐘を打ってみたところで、起きてしまったトラブルが勝手に直ることはない。ハザードを点灯し、
状況確認を開始するため、一旦停止。ブレーキは正常。エンジン周りの計器は・・・すべて、正常値を示している。だが、
なにやら、ギュルギュルギュルギュルと擦れているような音が聞こえてくる。試しに、アクセルを少し踏み込んでみる。
エンジンはまったく安定して吹け上がったが、エンジンよりも少し後ろ付近から、大きな「ギュオー」という音が聞こえる。

まさか・・・クルマを停止したまま、クラッチを切らずにギアを入れてみる。1〜5速およびRの、全てのギアが
エンジンが掛かっているにもかかわらず、何の抵抗もなくサクサクッと入ることを確認した。
ギアが、回っていない。
また、いずれのギアに入れたところで、聞こえてくる異常な音は全く変化が無かった。・・・MT から後ろは正常なのか?
後方の安全を慎重に確認しながら、惰性で坂を後ろ向きに転がり降りる。ゆっくりと転がり降りている最中も、同じように
ギアはどのポジションにも違和感なく入る。そして、どのポジションに入れようとも、まったく走行抵抗が発生しない。

坂の途中の支線があるところにケツを突っ込み、方向転換。今度は前進状態で、速度を上げながら惰性で転がってみる。
かなりの速度になるまで惰性で転がしてみるが、転がること自体については、まったく何の異常な音も感触も出てこない。
どのギアにも入る(前進中なので、Rは試していない)。だが、ある程度よりも速度が上がると、1速だけは入らなくなる。

最後に、クラッチを踏むと、踏んでいる間、「ギャギャギャギャ」というものすごい騒音が聞こえてくる。
音は、エンジン回転数のみに同期。クルマ自体の速度とはほとんど関係がないようだ。

・・・以上、できるだけ冷静に分析してみた範囲で考えられることは、以下のとおりだった。

  • エンジンは正常。ブレーキも正常(エンジンからの異音は聞こえないし、アクセルにもちゃんと反応する)
  • ドライブシャフト、デフは正常(惰性で走行中、異音は聞こえなかったし、妙なフリクションもなかった)
  • ミッション内部、ペラシャは正常(レバーの感触は正常、速度が上がると1速に入らない、4速(=直結)でも状況に変化なし)
  • ってことは・・・クラッチ、もしくはミッションのインプットシャフトに異常あり・・・

4速でパワーを掛けていたタイミングだったから・・・ミッションのインプットシャフトのスプラインが飛んだか?

ともかく、これで状況はだいたい判明した。こいつはもう、自走することができない状態になった。JAF を呼ぶしかない。
下り坂でつけた惰性で、できるだけ R9 に近づくために走り続ける。だが、坂道が終わってしまえば、惰性はすぐに消え、停止。
ロードノイズが消えた車内に聞こえてくるのは、小さな排気音と、むなしく聞こえる「ギャギャギャ」という騒音のみ。

・・・ふぅ。

クルマを降り、道が少し広くなっているところまで押して移動しながら、今後の対処を考える。とりあえず JAF を呼ぶとして、
その先、どうする・・・石見銀山は諦めるとしても、本日の宿となる玉造温泉には向かわねばならない。残距離をナビで見ると、
玉造温泉までは、80km+αぐらい。JAF のレッカーで、追加料金なしで運んでもらえるのは 15km まで。15km だと・・・
せいぜい、太田市までか。太田市まで運んだとして・・・そこから先、いったいどうする?自走は完全に不可能だ。

とりあえず JAF に電話し、レッカーによる救援を依頼。輸送先は・・・まずは、太田市で依頼。何のマイルストーンもない
擱座地点を必死に説明しながら、次の作戦を考える。太田市から・・・太田市から先を、どうするか・・・JAF への連絡が
完了したのち、ふと、そういえば任意保険にロードサービスが付いていたっけ、ということに気づく。内容はどうだった?
保険証入れからロードサービス案内を引っ張り出し、震える指で説明文をなぞり、レッカー距離についての説明を読む。

"60km(弁護士特約付き)"

無料牽引についての説明は、そう書かれていた。・・・ってことは?JAF で太田市まで運んだら、残距離は 60km 少々。
そこから任意保険のロードサービスで引っ張ってもらえば、玉造温泉までは、ほとんど追加料金なしで運べそうだ・・・

・・・ただ、この作戦を取るうえで最も大事な要素が、まだ検討できていない。玉造温泉から先、京都まで、どう運ぶか?
京都までの距離は、およそ 300km。いくらなんでも、レッカーで陸送することを検討できるレベルの距離ではない。
いろいろ考えた結果、ある人に救援要請の電話。本当にすまないが、牽引ロープを持って、玉造まで来てくれないかい?
駆動力が掛からなくて立ち往生しているけど、デフもエンジンもブレーキも正常だから、引っ張ってもらえれば帰れそう。
・・・さすがに即答は躊躇されたが、とりあえず、前向きな返事を貰うことができた。検討を頼んで、一旦電話を切る。

引き続き、任意保険のロードサービスへ電話。早くも日が稜線に隠れて寒くなってきたためか、車外でずっと電話をしていると
段々と声が枯れてきた。・・・風邪?まったく、弱り目に祟り目・・・電話先で応対してくれるロードサービスの窓口の人に
申し訳なく思いつつ、ものすごく聞き取りづらくなった声を張り上げ、レッカーについて相談。状況と、こちらの要望を
説明するが、ちょっと予想外な話を聞く。無料牽引の距離として書かれていた 60km という数字は、JAF 会員の場合は
JAF の無料牽引 15km を引き算して考えないといけないらしい。つまり、無料牽引はどう頑張っても 60km までってこと。
また、超過分については、1km あたり 500〜600円になるらしい。このことから考えると、温泉まで、1万円少々か。
うーん、今から宿をキャンセルしたところで、どうせ1万円ぐらいの宿泊料が無駄になってしまうのだし・・・

決めた。超過料金1万円を支払って、玉造まで運んでもらおう。そう依頼すると、ロードサービスの窓口の人は、お客さまの
負担金が大きいので・・・と、保険でのレンタカー手配&現地修理+陸送オプションなどについて、提案をしてくれる。
どうやら、レンタカー代として数万円が支給されたりとか、指定工場で修理後、自宅まで無料陸送してくれたりとか
いろんなサービスがあるようだ。だが、今はまだ、回答を保留。とにかく・・・よく知らない場所で、自分のクルマを
弄らせたくないのだ。他人の整備なんて、信用できるか。それに、故障している場所の推測結果から考えれば、
自宅に置いてあるストックの部品だけで修理することも可能だし、なんとかして自宅に持って帰って直したい。

またも電話を切り、レッカーの到着を待つ。周囲を吹き抜ける風は、ますます冷たくなってきた。とりあえず車内に入り、
エンジンを始動。ギュギュギュギュ・・・という軽い異音が聞こえてくるが、気にせずブロワーを全開にし、暖房を開始。
だが、燃料計を見て、針の位置がかなり下がっていることに気づき、エンジンを停止。・・・京都まで持たせないと。


無限にも思える時間ののち、ようやくレッカーの人がやってきた。車体を見れば、JAF のオフィシャル救援車両ではない。
どうも、地元の業者のようだ。委託を受けてるんだろうな。まずはお礼を述べ、状況を簡単に説明。しかるのち、玉造まで
運んでください、と依頼する。来てくれた人は、そのまま修理工場まで持っていくものだと思っていたようで、最初のうちは
目を白黒させていた。だが、いろいろ組み立てた作戦を簡単に説明すると、理解してくれたようで、輸送を快諾してくれた。

救援に来てくれた積車に積み込みを行ってもらっている間、ある人に再度連絡。平日ではあったが、救援 OK との回答を頂く。
・・・これで、条件は全て整った。無茶苦茶なお願いに応えてくれたことに感謝の意を述べつつ、ともかくは一旦安堵する。


やがて、積車への積み込みは完了する。時計を見ると、宿へ伝えていたチェックイン時刻が近い。たぶん、1時間ぐらいは
遅延しそうだ。宿へのチェックイン遅れの連絡を行ったのち、積車の座席に乗り込み、屈辱の擱座地点から、いざ出発。

玉造までは、かなりの距離がある。ちょうどいい機会なので、救援に来てくれた業者の人たち(若い兄ちゃん2名)と雑談。
今回の旅行の話とか、大学の頃の貧乏旅行の話とか、鳥取&島根の観光情報とか、本当にただの雑談とか。話が弾む。
基本的には多人数より孤独を好む自分だが、ほとんど誰ともしゃべらない一人旅を続けていると、それなりに人恋しくなる。
普段からこれぐらい人懐こい性格であったならば、きっと違う人生が送れたのだろうな。基本ヒッキーのダメ人間。

距離が長いので、途中のコンビニで一休み。業者の人がトイレに行っている間、すっかり青黒くなってきた空を見上げ、
今回の顛末を思い返す。今回は、平生からの整備不良が原因で起こったトラブルではない。破裂音が聞こえて駆動力が
伝わらなくなるまでの間、この現象を想像しうる兆候は全く無かった。本当に、まったく普通で、何も予兆はなかった。
・・・そして、起こった現象は、おそらくクラッチ系統のトラブル。磨耗しすぎて滑った、とか、許容限界以上のトルクや
摩擦による高温がストレスとして掛かってバーストした、とかならばまだしも、それらを想像させる現象は起きていない。

果たして、何故このような故障が起きたのだろう。そして、どうしていれば、確実に回避できていたのだろう。
(全開加速しなければ・・・というのは、故障が発生するポイントが変わるだけのことなので、回避策からは除外)
俺、京都に無事帰ったら、原因を徹底究明するんだ・・・無意識のうちに死亡フラグを立てつつ、リベンジを誓う。

やがて、業者の人がコンビニから戻ってきた。2本の缶コーヒーを手に持って。2本?考える間もなく、その人は
2月の冷たい風に吹かれて凍えている私に、暖かいコーヒーのうちの1本を押し付けた。お使いは依頼していない。
え・・・この1本、くれるんですか?・・・なんという、いい人だろう!これから貴方のことを、ゾフィー兄さんと呼ぶ。


ゾフィー兄さん達とともに積車に乗り込み、コンビニを出発。玉造温泉を目指す。ゆっくりとしたぺースで進む積車は、
やがて出雲を通過し、宍道湖沿いへ。残念ながら、絶景を見せるはずの宍道湖は、すっかり夜の闇に沈んでいた。
それを見たゾフィー兄さん、「宍道湖は、朝の景色が綺麗なんですよ・・・」と呟く。今回は、絶好のチャンスだった。
玉造温泉は、宍道湖から少し離れた地点にある。クルマがあれば、朝のうちにちょこっと出かけることもできたろう。
だが、それを可能にしてくれるカプチーノは、今は完全に駆動力を絶たれ、1cm も自走できない。それに、私自身も
明日の帰投を成功させるため、少しでも長い時間の休憩を取らねばならない。これは、また、次回の課題にしよう。

宍道湖の脇を進んでいると、やがて玉造温泉の看板が現れた。さて、最後の関門は・・・自走しないカプを押し込める
地形かどうか、だ。業者さんも、地元ながらこの温泉内の地理には詳しくないようだ。もし坂がきつかったりすれば、
何らかの対策を考えねばならない。とりあえず、ナビの案内に従って県道 25号に入ってもらう。指示通り、ほどなく
現れたY字路を左手(山手)側に進んでもらう。道路は、右手下に玉造温泉を見ながら大きく山手を迂回したのち、
玉造温泉の山側(南側)の橋へと降りる。ナビによれば、目指す温泉宿は、いま右手側に見下ろしてきた地域にある。
山のほうの傾斜のきつい地域にあるかと思いきや、川沿いの平野部分に温泉はあった。助かった。これなら、運び込める。

川沿いの細い道路沿いに立ち並ぶ旅館は、いずれも大きな駐車場を備えている。そこにカプを押し込めば、任務完了。
積車からカプチーノを下ろしてもらっている間に、最終的な位置を確定するため、ひとっ走りして予約した宿を探す。
結局、300m ほど先に、その宿は存在した。これぐらいなら、なんとか自分ひとりでも、押して運べるか・・・

そう思いながら(たぶんアドレナリン爆噴であろうがために)疲れているはずなのに妙に軽やかなステップを踏みつつ
積車からカプチーノを下ろしてもらった、南端の橋のたもとへと走って戻る。だが、そこにはカプは無く・・・カプは、
私が走ってきた道を、少しばかり進んできていた。いや、もちろん自力ではない。ゾフィー兄さん達が、わざわざ
押してきてくれたのだ!ここまで運んできてくれただけでも有難いことなのに、更にそこまでして下さるか!
「それが仕事だろう」という意見もあろうが・・・正直、このときほど、人の情を有難く感じたことはなかった。

男3人に押されたカプチーノは、ハザードを点滅させつつ、夜の帳が下りた温泉街を無音で進む。やがて、
到達目標としていた温泉旅館の正面までたどり着く。あと、もう一歩だ。えいやっ、と力を込めて段差を越え、
橋を渡る。橋の向こう側は、温泉宿の駐車場だ。真っ暗闇の向こう側に見える、大きな建物。その一番下にある
ひときわ明るい開口部から、初老の男性が飛び出してきた。あらかじめ「クルマにトラブルが起きて遅れる」と
電話で伝えておいたから混乱は無かったが、それでもさすがに、ハザードが点滅しているだけの無音のクルマが
大人の男3人に押されて暗闇から現れた姿には、驚きを隠せないようではあった。一体なにやってんだ、と(笑)

初老の男性(宿の従業員)に指示されたとおりの場所にクルマを収めたら、ようやく、本日の移動は完了。
ここまで輸送してくれた業者の人への事務処理を行ったら、彼らともお別れ。丁寧に礼を述べたあと、暗闇の中を
去っていく積車の姿を、手を振って見送る。トラブルは痛かったが、いい人たちに巡り合うことができた・・・

・・・今となっては、彼らになら、カプチーノの修理をお願いできるような気もする。いや、判断が遅いけどさ(汗)


・・・さて。あとは、こちらも明日に向けて・・・ようやく宿にたどり着いたということで、張り詰めていた緊張が
ついに途切れた。チェックインのために、豪華に作られた柔らかいロビーの椅子に座った瞬間、猛烈な疲労感が
襲ってくる。仲居の娘さんに出してもらった茶を一口啜ったら、気力も尽き果て、体が斜め前に倒れた状態で静止。
・・・そうだな・・・普通に観光で走り回ってきた後であれば、ここまで力尽きていることもないはず。今日は、まぁ、
体力的な問題もあれど、やっぱり自走不可になってしまったことについての精神的ダメージがでかい、か・・・

もう、このまま全てを投げ出し、地に根を生やして出雲の木々の仲間入りしたいや、とか、石像となって・・・とか
どうでもいいことしか浮かばないぐらいに燃え尽きた。白くなった矢吹丈のようなポーズで少し放心していたが、
近くで部屋への移動を待ってくれていた仲居さんの姿に気づき、このままではいかんと最後の力を振り絞り、再起動。
荷物を抱え、ヨロヨロとした足取りで部屋へと向かう。館内は淡い黄色と緑色を基調とした雰囲気で、心休まる。


通された部屋は、これまた1人旅にはいささか立派すぎるほどの良質なものであった。落ち着いた静かな室内で、
案内してくれた仲居さんの説明を聞く。初日・2日目の旅館の仲居さんはどちらも恰幅のいい姉さん系であったが、
今日の旅館の仲居さんは、なんだろうねぇ、えらく若くて素朴でかわいい系。玉造温泉のクオリティの高さを思い知る。
まだ 20代前半、下手すりゃ10台後半と思しき仲居さん。部屋を辞するとき、後ろ向きに下がっていったはいいものの
入ってくるときに完全に開け切っていなかった扉にぶつかって「あうっ」とよろめく。な、なんという仕草萌えか!
すっかり疲れきった心に沁みた、一服の清涼剤。ありがとう仲居さん。たぶん素だと思うけど、嬉しかったよ。

仲居さんが去ったあと、荷物を整理し、救援要請に応じてくれた人に連絡。明日の回収のスケジュールを決める。
幸いにも、天候は全く順調で、雪が降りそうな気配は無い。念のため仲居さんにも聞いておいたが、2月になって
まったく雪は降っていないそうだ。寒気団がシベリアからやってくる気配もないので、まず問題はないだろう。
大変な仕事を引き受けてくれたことに改めて感謝しつつ、ともかく予定を fix できて、ようやく心が落ち着く。

浴衣に着替え、夕食を食べに行く。本日の宿泊は、なんと恐るべきことに「夕食付き」だ。なんという贅沢さ。
本日の試練は、その贅沢さとバランスした罰と言えなくもないかもしれない(汗)ともかく、部屋を出て、ロビー横にある
食事処へ。かなり遅れて到着したせいか、同じプランで宿泊しているはずの他の客の姿は、ほとんどない。席につき、
陽気に話しかけてくれる食事どころのおばちゃん店員と軽い会話を交えつつ、運ばれてきた料理を食する。日本海に
近い宿らしく、豊富な海の幸を贅沢に使った、綺麗な料理だ。うまい。うまい・・・いんだけど、どうしてか、今ひとつ
味が感じられない。箸を持つ手も、なんだか震える。気分もなんだか物悲しくなってくる。自宅から離れた場所の
立派な旅館で豪華な飯を一人で食べる・・・どうなんだろう。悪くないはずなんだけど、今日はどうしてか物悲しい。

物悲しい気分が収まらぬままに食事を終え、おばちゃんに礼を述べて座席から立ち上がろうとする。・・・だが、
いつのまにか太腿がパンパンに張っていて、足がガクガク状態。アルコールが若干入ったせいでは無かろう。
故障したあと、必死になってクルマを押していたわけだが、実はアレが相当、運動不足の体に「効いた」ようだ。
ここまで何とも感じなかったのは、おそらくは危機に瀕して爆噴されていた脳内麻薬の類のお陰だったのだろう。
こっ、これはいかん・・・ともかく部屋に戻って風呂装備に換装し、風呂場に出撃。半身浴で足の治癒を試みるが
どうにも落ち着かない気分がどんどん押し寄せてきてしまい、心や体を休ませることは叶わなくなる。むう。
どうも、心が落ち着かない。無性に悔しく、やるせない気分ばかりが募る。一体、なんていうことだ・・・。

適当に風呂を切り上げ、部屋に戻る。いつの間にか、布団が敷かれていた。もう、何かをする気力も起きない。
すごく勿体無いけど、さっさと寝てしまおう、明日は大変だし・・・。だが、布団に入ったものの、全身ガクガクで
なにかもう、眠れる状態ではない。挙句、また舌の横に口内炎が発生していた。そんなに疲れたのか、俺・・・。
やむなく、持参したレンドルミンを飲んで、強制的に眠ることにした。静かな室内で、眠りの淵に立ちながら思う。
ああ、この柔らかで気持ちのいい布団が自宅の布団で、目が覚めたら、そこが自宅の寝室だったらいいのに・・・


2/27

無理やりにでも早く眠った効果があったのか、それとも過度に興奮していたのか、7時前には起床。
気分は引き続き優れないが、幸いにも体調は回復しているようだ。外を見ると、小雨が降っている。そのお陰で
身を刺すほどの寒さも感じない。道路の状況をもチェックするが、米子道も全然大丈夫みたいだ。まずは安心。

朝飯は、何を食ったか覚えていない。荷物を片付け、まず救援車に電話。かなり早い時刻に出発したらしく、
8時半現在、京都を出発し、中国道の安富付近まで移動しているらしい。ありがとう・・・本当にありがとう。
心の中で、感謝の涙が流れる。敵陣中に不時着したパイロットが救援を待つ気分って、こんな感じなのだろうか。
それにしても、こんな面倒臭くて大変な仕事を頼まれてくれた人には、本当に頭が上がらない。何度も手を合わせる。


荷物を片付け、なんとか気力を回復させたら、10時にチェックアウト。ロビーの片隅にある立派な椅子に移動し、
ノート PC を開いて日記を書き進めながら、救援車の状況を時折確認。米子道に入るところまでは全く順調な歩み
だったが、そこからが思った以上にかかっているようだ。チェーン規制などはなく、路面にも雪はないようだが
道路の両側は積雪しており、また、降雪も僅かながらあるらしい。さすがに、中国山脈の日本海側を貫いて
湯原や蒜山への短距離アクセスを提供している米子道だけある。救援車は対雪装備をしていないので、
できるだけ早く山を越えてしまわねばならない。山さえ越えてしまえば、カプチーノの四輪に装備している
スタッドレスのうち2本を、救援車に装備することもできる(タイヤサイズが共通のため)。急げや急げ。

待ち時間の間、カプのエンジンを始動。昨晩とまったく状況は変わらず、自力では 1cm も移動できない。
更に、ギアがニュートラルであってもギュルギュルという不快な音が聞こえていたが、クラッチペダルを軽く
押さえて離してやると、不快な音がピタッと止まった。どこが壊れているかは判らなかったが、ともかく
エンジンを掛けて軽く遠心力を掛けている状態でクラッチを切れば、遠心力でセンタリングされて、
動いている「何か」が固定されている「何か」と当たる問題が回避できるかもしれない、という
まったく曖昧な目論見はあった。それは、予想以上に当たっているようだった。これで、故障点は
クラッチとミッションの接続点に存在するだろう、ということは、ほぼ絞り込めた。確実に、直せる。

ふたたび日記書きに戻っていると、連絡が入る。無事、米子に到着したらしい。そこから先の道路は、
ネットに一瞬だけ接続して取得した MapFan.PLANNER の地図を見つつ、電話によって適宜誘導する。
たぶんナビは付けてきていると思うけど、普段からナビを使って走らない人だからなぁ・・・。

電話口で、周囲に見えるランドマークを尋ねながら、地図上で位置を特定。玉造温泉に入るところの
ちょっと複雑な交差点の形状と景色を思い出しながら進入ポイントを指示し、温泉郷入り口となる
花仙橋まで歩いて迎えに出る。玉湯川沿いの 800m ほどの距離だったが、これほどまでに長い距離に
感じられたことはない。朝の湿った空気の中を必死に歩き、山陰道の高架をくぐり、橋の袂に立つ。

まもなくやって来たのは、距離をまったく感じさせない・・・いつも自宅の車庫にいる EP82 だった!



そう。はるか遠くの京都から駆けつけてくれた救援者は、我がオヤジだったのだ。

当年とって 69歳。そろそろ「高齢者」のカテゴリーに片足突っ込み始めている年齢なのだが、
そのバイタリティーは、ちょうど半分程度の年齢でしかない息子である私を、遥かに凌駕。
運転席に収まったオヤジは、この長丁場にも全く疲れた様子がない。正直、戦慄した。そして、
この恐るべきパワーを秘めた優しき頑丈人間が自分のオヤジであることを、誇らしく思った。

宿に停めてあるカプチーノの前に EP82 を停めてもらい、早速、牽引ロープで2台を連結する。
ここで少し問題が発生。持ってきてもらった牽引ロープはそこそこ大型に対応しているものだが、
カプチーノの牽引フック(右)の引っ掛け部になっている鉄棒の直径は太すぎるようで、フックの
外れ防止金具を戻すことができない。ちょっとした牽引ならさておき、長丁場になる今回の状況だと
不安過ぎる。また、EP82 のリアフックは左側についており、牽引ロープが斜めになってしまう。

どうしたものかと思案しながら、カプチーノの左側正面を覗き込む。オイルクーラーに冷たい空気を
効率よく供給するために大きく切り欠いておいたフロントネットの向こう側に、なにやら穴の開いた
鉄板が見えた。あ、そうか。あまり有名ではない(?)が、カプチーノの牽引フックは左側にも存在する。
バンパーより奥まっているので、普通はバンパーを外さないかぎり使えないのだが・・・今回は運がいい。
厚い鉄板を折り曲げて作られた左側牽引フックは、右側と同様、フロントサブフレーム先端に装着され、
同じ強度を提供している(構造上、そうなるはず)。フックを掛けると、外れ防止金具もちゃんと掛かる。

ロープを両車の間にしっかり装着し、カプチーノのリアウインドウに「けん引中」と書いた紙を貼り付け
準備は完了。連結作業の間、休憩するためにちょっと席を外していたオヤジも、ちょうど戻ってきた。
カプチーノのエンジンを始動。ギュルギュル音も立てず、静かに廻っているエンジン。被牽引中の
ブレーキマスターへの負圧供給と電源系統への電力供給は充分にこなせそうだ・・・よし。


オールグリーン。オヤジと私はそれぞれ EP82 とカプチーノの運転席に戻り、長い岐路の旅を開始する。


準備が整ったことをサインで告げると、EP82 がゆっくりと動き出す。さぁ、人生初の被牽引体験だ。
EP82 との間の僅かな車間から見える派手な色のロープがゆるゆると伸び、地面から離れてピンと張る・・・
その瞬間、ガツン、という軽い衝撃とともに、仰け反るようなロケット加速(?)でカプチーノは走り出す。
これ、ちゃんと予期してないと鞭打ちになりそうだ(汗)だが、駆動力を伝える手段を失った後、あれほど
重くてどうしようもなかったカプチーノが、こうもあっさりと走り出してくれたのには驚いたし、嬉しさを感じた。
ああ、俺はこれで、春に花が咲き夏に日が照り秋に虫が鳴き冬に雪が降る故郷に帰れるんだ、ってね。
どうか最後まで、この派手な色の命綱が切れずにあってほしい。私を、故郷まで導いてほしい。

帰路のルーティングは、オヤジ任せ。とにかく、ゆっくりしたペースで牽引してくれるオヤジの後姿を背景に、
ロープの動きをじっと睨み、被牽引車側としてどうあるべきかを全力で考え、ペダルとステアを操作する。

やがて、スタート時の強烈なショックについては、停車時のロープの張り方を工夫することで回避できる
ことがわかってきた。使用しているロープは、ある程度の範囲で伸縮するナイロン製のもの。その特性を
利用し、ロープの張りを見ながら、牽引側よりも少しだけ早めに停車して、ロープが少しだけ伸びている状態で
止まると良い。結局、なぜショックが発生するかというと、急激に牽引力が伝わるから。それを防げば良い。

同じことは、走行中でも言える。牽引車に引っ張られる形の上り坂区間は、ロープは常に張られっぱなしに
なるため、被牽引車はかなり楽チンだ(その代わり、牽引車はストップ&スタートでかなり苦労する)。一方、
平坦地区間、もしくは下り坂区間だと、牽引車は楽チンだが、被牽引車はロープの張力調整で苦労する。

ロープの弛みがピンと張られる瞬間のショックを最小限に防ぐため、ロープは可能な限り張っておかねば
ならない。だが、前車との速度差があれば、必ずロープは緩む。しかし、ずっとテンションを掛けっぱなしだと
ロープの寿命も心配。なので、実際にはロープが僅かにゆるんだ状態←→ロープがピンと張られた状態を
行ったり来たりしつつ維持することになる。つまり、前車の減速の強さとタイミングを完全に読みきって、
ちょうどいい具合に減速せねばならないのだ。減速し過ぎるとロープと牽引フックに負担がかかるが、
減速が足りないとロープに無用な弛みができてしまう。そうなったときは、少し減速を強めることになるが
減速が強すぎたり、ちょうどそのタイミングで前車が加速に入ったりすると、一気にロープが張られ、
ガツン!という強い衝撃が牽引車/被牽引車の両方に走ることになる。アクセルが効かないので、
減速し過ぎると、どうやってもリカバーすることができない。この「手が届かない」感がまた、実に辛かった。

オヤジは、発進時以外はあまり被牽引車の動きに気を使わなかったので、私の微妙なロープ張り操作ミスが全て
衝撃として現れる。アクセルどころかエンジンブレーキもない環境において、1車間にも満たない車間距離と
両車の速度差をほぼ一定以下に保つのが、どれほど集中力を要して神経をすり減らすことか。これは、
やったことがないと絶対にわからない。はっきり言って、その辛さを知らなかったからこそ、できたことだ。

また、当然のことながら、ロープによる牽引では急角度での右左折はできないし、後退もできない。ある程度走って
お互い少し慣れてきたところで、そのことをすっかり忘れたオヤジが狭い道でのUターンをやろうとしたりしたので
クルマを降りて大慌てで止めに行くハプニングが起きたりもした。しかしながら帰路で辿った道路は、全体的に流れの
良い郊外の道路であり、線形面での苦労が少なくて済んだことは幸いだった。大都市圏とか混じってたら絶対無理。
ただ、傾斜が強い場合だけでなく、細かい起伏の連続もまたロープ張りは大変だったので、苦労は満遍なく訪れた。


ともかく、移動時間のほとんどは、前にも書いたようにロープの張りを維持するため、そのことばかりに集中して
走ることになる。周囲の景色もナビの画面も見てる余裕などなく、一体いま何処で、家まであとどれだけなのかを
あまり把握することがない。インパネもほとんど見ておらず、それゆえほとんど気づかなかったのだが、次第に
ガソリンの残量のほうも、欠乏が予期されるレベルまで低下していた。ちょっと息をつくタイミングができ、全体を
把握しなおしたとき、このままのペースだと帰り着くまでの間にガス欠になってしまいそうなことに気づいた。
サッと青ざめる。ブレーキブースターが正常動作している前提がなければ、こんなアクロバットの維持は不可能。

無論、途中で給油することも可能といえば可能だったが、運の悪いことに、なかなか適当な GS が見つからない。
それゆえ、見通しの良い平坦区間など、ブレーキ力を頻繁に必要としない区間では積極的にエンジンを切り、
燃料の温存に努めることにした。もちろん、エンジンを切っても、ペダルを4〜5回踏める分ぐらいの負圧は
残っているし、パワーステアリングや ABS などエンジンや電装系の力がないと動かないような装備は何もない
からこそ、こんなこともできる。素朴極まりない旧い軽自動車だからこそできる小技(?)と言えようか。

・・・しかし、それでもまだ問題が残っていた。ここまでずっと、アイドリング状態のままエアコン ON &
ハザード ON &ワイパー ON で長時間走ってきたが、オルタネータの発電量が追いつかなかったらしい。
そこでエンジンを停止したりしたら、どうなるか。エアコンなどは停止するものの、被牽引中を示すために
ハザードは停止できないので、バッテリーの残量が凄い勢いで乏しくなる。気づいたときには、ハザードの
明滅の間隔がおかしくなっていた。普通なら等間隔で ON - OFF - ON - OFF - ... となるものだろうが、電圧が
足りなくなってきたのか、一瞬 ON - 長時間 OFF - 一瞬 ON - 長時間 OFF - ... という妙な動作になってきた。
い、いかん!やむなくエンジンを始動し、エアコンを OFF にして外気導入し、ハザードを駆動するのに必要な
電力を少しでも早くバッテリーに蓄える。しばらくエンジンを動かして充電したら、また OFF にして燃料温存。

・・・正直、長距離の牽引が、これほどまでに厳しい戦いを求められるものだとは思っていなかった。
もう降参したかったが、残念ながら降参できる状況ではない。走り出したら、最後まで走りきるしかない・・・


・・・それから一体、どれぐらいの時間が経過したのだろう。曇った空は極大の明るさを迎えたあと、徐々に
暗くなり、そして夕暮れが訪れる。私の作業は、何も変わることはない。ライトに照らされる黄色いロープを
見つめ、その張りを常に一定に保ち続ける。必ず帰るんだ、という決死の思いだけが、体と心を支えていた。
こんなの、誰にもオススメしない。自分も、もう二度とやりたくない。ミッション 100回上げ下ろしのほうが楽だ。





・・・無限とも思える時間を過ごしたのち、なんとか京都の自宅脇へ戻る。無事、ここまで戻ってきた・・・

もうクタクタのクタだが、しかしまだ仕事は終わっていない。最後の難関、車庫入れだ。いったい、どうやって、
駆動力がかからないクルマを、狭い上り坂の奥にある車庫に入れようか?だが、その方策は閃いていた。それは、
「同じ車庫に収まっている L502S に牽引してもらい、バックで坂道を引っ張り上げる」という方法だ。ただし、それも
簡単ではない。坂からコの字型に続く狭い路地(複雑な傾斜あり)も、バックで牽引して通過する必要がある。

文章では説明しづらい。これがどれぐらいアクロバティックなことであるかということは、おそらく AZ-1 氏
ぐらいしかわからないだろうな。だが、ここまでの約 300km を牽引で帰ってきたオヤジと俺に、不可能は無い。
いいか、タカヤ!一人ひとりは小さな火でも、二つ合わせれば炎になる!オオタコーチの若本声が、脳内にビンビン響く。
2人は、これ以上ないぐらいに完璧な路地捌きを暗闇でのバック牽引で決め、普段と寸分変わらない車庫入れを完了する!

クルマを降りたとき、思わずガッツポーズ。この上ない達成感に酔いしれる。そして、低速走行によって迷惑を掛けた
多くの人たちへのお詫びの意味で、西方に向かって深くお辞儀(むろん、可能な限り追い越してもらっていたけども)。


全てを終えた時点で、昨日とはまた異なる種類の疲労感がドサッと襲ってきた。洗濯物の類を手早く処理したら、
見慣れた我が屋の天井の木目を眺めながらゴロリと横になり、そのまましばらくまどろみの世界へと旅立つ・・・


2/28

・・・まぁ、そんなエンディングからして推測できるとおり、予定よりもはるかに体力を消耗した旅行のために
どうやら風邪を引いてしまったようで、半日ほどを布団の中で過ごす。猛烈な鼻水とくしゃみ・・・花粉症か?(汗)

夕方を過ぎ、ようやく体調が回復してきたので、とりあえず起きだして軽く洗車。こんな時期の山陰を走り回った
ということで、塩カルによる被害をある程度は想定していたのだが、白い汚れはまったく存在しなかった。驚き。
車体についていたものは、普通の泥汚れと虫汚ればかり。これは運が良かったが、何かがおかしい気もした f(^_^;)

洗車後、長い距離の牽引を耐え抜いてくれたフックを点検。パーツリストにも「牽引フック」と明記されている
部品ではあるが、やはり運転席側の頑丈なソレと比べると、かなり脆弱。すっかり歪んでしまっていた(汗)
そのあおりを受けて、ボディの鉄板の淵のほうも若干歪んでいる。また、素人板金すっかなぁ・・・